衣川の桜

この投稿は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の21日目の記事です。

「いや、急に呼び出してすまない。」
慌ただしく席に座った彼は、私の長年の友人だ。

「ああ、久々に会えて嬉しいよ。前にあったのは2年前か。」
そう言って座席に腰掛ける。この硬い木の椅子は今も変わらないようだ。

「結局、僕らは一度として川に飛び込めなかったね。」
なるほど、どうやら彼は昔話がしたいらしい。むろん私もそのつもりだったのだが。

私たちはしばらくの間、懐古を楽しんだのだった。

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私たちの出会いがいつだったか、いや、そんなことを考えるのも野暮だろう。私たちは同じ年に同じ集落に生まれた。衣川に架かる沈下橋を渡った対岸、谷の少し奥まったところにポツンとある、8世帯の小集落だ。生まれた子供は、集落のものとして一緒に育てられる。物心ついた頃から、いつも二人は一緒であった。

橋のたもとの祠に行くと彼がいる。カラッと晴れた夏の平日の昼前、川に飛び込む中学生たちを横目に見ながら、ゆっくりと橋を渡る。小学生の足では5分はかかっていたであろう。国道に出てしばらく、こじんまりした寺に着く。私たちは、ここの和尚に将棋を習っていたのだ。神木の桜の木が見守る境内で、黙々と将棋を指す。それが私の中の幼少期の思い出であり、彼のそれでもあった。

私たちの故郷は、美しかった。これは高慢でもなんでもない。透き通る水をなみなみとたたえる衣川と青々と茂る山並み、コンクリートの無機質な構造物である沈下橋のミスマッチに魅了され、観光客は後を絶たない。そしてここには、東京の街並みがどれだけ変わろうが、100年後も200年後も変わらない、そう言った昂然さがあった、と思われたのだが…

1970年代に、この原風景は失われてしまったのである。

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「桜が、枯れたそうだ。」
彼はそう切り出した。
「なるほど…」
私は妙に納得した。いつも私から誘っていたのが、今回は彼から突然誘いが来た意味を。
「30年…前になるね。小学校卒業の年だった。」
「ああ。あの時はあんなにも大々的にテレビに取り上げられたのに、今では見向きもされない。」

寺を見守っていた桜の大木は、ダム建設の際に山腹へ移植された。ダム建設の事業主の提案によってなされた移植であったが、枝を切り落とされ、重機で運ばれる大木の無残な姿に、日本中で非難が巻き起こった。しかし、奇跡的にも移植は成功し、今では美談として語り継がれている。

「30年前、僕たちは桜の木以外、全てのものを失った。毎日通った小学校、国道沿いの釣具屋、境内に埋めたタイムカプセル、そして僕らの住まい。全て湖の底さ。」
「そして今、衣川の桜までも僕らは失ってしまったと。」
「そういうこと。もう痕跡はどこにもない、が。」
そういうと、彼は水を一杯含んで、さらに語り続けた。

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中略
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—————緊急ニュースをお伝えします。今日午前10時ごろ、X県Y市の衣川ダムにて、武装した男複数人による立てこもり事件が発生しました。犯人の要求は未だ不明。ダムの不審な放流操作が行われており、現在下流の住民を避難誘導中です。警察は、「下流の住民全てを人質に取った、極めて悪質な犯行」との見解を出しており、現在突入作戦を計画中とのことです。—————

この話はフィクションです

この記事は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の21日目の記事でした。 nèiténg が担当しました。22日目は、 私はサンタ さん担当の予定です。

コメント

  1. nininga より:

    ダムを作ったら
    世界第4位の湖がなくなったり
    美しい円弧状三角州が後退したりするもんな…