あまみるきー | カオスの坩堝 https://anqou.net/poc Chaos is not kaos. Sun, 24 Mar 2019 13:24:05 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.1.1 https://anqou.net/poc/wp-content/uploads/2018/02/9dc10fe231765649c0d3216056190a75-100x100.png あまみるきー | カオスの坩堝 https://anqou.net/poc 32 32 そういえば彼女ができた話 https://anqou.net/poc/2019/03/24/post-2831/ https://anqou.net/poc/2019/03/24/post-2831/#comments Sun, 24 Mar 2019 13:21:37 +0000 https://anqou.net/poc/?p=2831  本当は彼女ができた話をしようと思ったんですが、時間がない(1日遅れちゃってごめそテヘペロ)ので、今年度自転車で行ったところのレビューをしようと思います。新歓期ですし、ついでに広報も兼ねて。おススメ度の星は5段階評価(当然ですが主観的な評価です)となっております。それではどうぞ。

1.六甲山(4月) おススメ度★★★☆☆

関西有数の人気夜景スポットの六甲山は、新歓期のツアーとして行きました。山頂の標高は931mですが、山頂のすぐ近くまで道が走っており、車でもチャリでも行けます。この日は天気も良く、ローディー(ロードバイク乗り)が多かったですね。しかしローディーが多いなりに、登り坂はキツいです。覚悟して行きましょう。景色は評判通りにいいので星3つ。

ーーー

2.小川路峠(6月) おススメ度★★☆☆☆

長野県は飯田市にある峠で、いわゆる「分断国道」です。分断国道とは、国道のルートにもかかわらず車道が供用されていない場所のことで、多くは登山道となっています。その1つである小川路峠を、自転車を担いで越えました。私の所属するサイクリング部ではこういうエクストリームな活動もするんですよー!正直キツかったです。楽しいのは間違いけどニッチなので低めに星2つ。

ーーー

3.能登半島(7月) おススメ度★★★★☆

金沢から高岡まで時計回りに能登半島を一周しました。1日半で320キロはまあまあキツい。が、距離以上にしんどいのが猛暑。2日で10Lくらい水飲んだんちゃうか(さすがに誇張ですが)。とは言え、能登はめちゃくちゃ景色がよかったですね。展望台あり、棚田あり、グルメあり、そしてもちろん海が綺麗!北陸ラバーの私も唸る星4です!次は車で行きたいなぁ。

ーーー

4.佐渡島(8月) おススメ度★★★★★

新潟県沖に浮かぶ離島はかつて流刑地とされていました。しかし行ってみるとめちゃくちゃ良い!海は透き通ってるし、山は眺めがいいし、メシはうまいし、トキはかわいいし。もうね、語彙力0になるレベルで良かったです。年1くらいで行きたい。自転車なら、島を一周するも良し、スカイラインからの景色に言葉を失うも良し。

ーーー

5.大台ケ原(11月) おススメ度★★★☆☆

三重奈良県境にそびえる100名山の1つです。三重県側から自転車を担いで登り、奈良県側に下りました。はっきり言って2018年でいちばんしんどかった。私の自転車重すぎ。あんなんただの鉄塊やで。しかも山頂着いたらもう周り真っ暗やし。でも空を見上げたら満点の星空が広がってて、流れ星もけっこう見れました。疲れた身体に絶景が染み込んだので星3つ。

ーーー

 上の5つだけではなくもっとたくさんの場所に行ったのですがここに書くには多すぎるので、尺の都合でここまで!他にどこ行ったの?自転車って何が楽しいの?彼女との馴れ初めは?などなど気になる人は、サイクリング部の新歓に是非来てくだされ。

 こんな場で個人的な宣伝をしちゃったことを若干申し訳なさを感じつつ、今回はこれでおさらば。

]]>
https://anqou.net/poc/2019/03/24/post-2831/feed/ 1
twitterでチケットを転売した話 https://anqou.net/poc/2018/12/19/post-2429/ https://anqou.net/poc/2018/12/19/post-2429/#comments Tue, 18 Dec 2018 15:07:37 +0000 https://anqou.net/poc/?p=2429 この記事は、カオスの坩堝アドベントカレンダー2018の18日目の記事です

どうもどうも。あまみるきーと申します。随分久しぶりの投稿になりましたね。今年もAdvent Calenderの季節やんけ、何か書こっかなって思ったのはいいんですけど、いやいや何を書けばええんや…という壁にぶち当たりまして。記憶の中からネタになりそうなものを捻り出した結果、タイトルの通りになりました(笑)。

最近ライブ等のチケットの転売について議論になってますよね。行きたくもない(?)イベントのチケットを取っては、本当に行きたい人に高額で売りつけるのが問題とされています。それを防ぐために、チケット転売用のアプリやサイトも出てたりします。ただし、最初に、今回の私の場合は「チケットがたまたま余り、それを本当に行きたい人に適切な価格で売った」ということを強調しておきます。私は今回に関しては問題にならないと考えた上で転売をしています。長くなりましたが、それでは本編をどうぞ。

ーーーーーー

ことの発端は先月の上旬。12月のあたまにある某女性歌手のライブに家族4人で行こうと、母親と私がチケットを2枚ずつ応募しました。ちなみにその歌手は最近メディアにも注目されだした方で、家族4人とも彼女の曲を気に入っています。数日後、無事にチケット4枚を取ることができました。ところが、父親が仕事の都合にライブに行けないことに。そこで、私が余ってしまった1枚を誰かに転売しようと考えたのでした。

私は、一緒にライブに行かないかと友人たちに聞いて回りました。しかし、「バイトがあるから」とか「知らない歌手だからなぁ」と断られるばかり。10人ほどに断られて、諦めようとしていたその時、私は思い出しました。あの”青い鳥”の存在を。

なんと私は、この件の少し前に、twitterで趣味アカウントなるものを作っていたのです(どうでもいいことですが、現在私はtwitterのアカウントを3つ持っています。気になる人は探してみてね)。趣味アカウントとは、音楽やゲームなどの趣味でつながり合うためのアカウントのこと。だったら、そのアカウントでチケット欲しい人を募ればいいじゃん!フォロワー数が少ないですが、twitterの拡散力に頼れば余裕のよっちゃんイカで見つかるはず!おのれ、天才か私!てなわけで、さっそく欲しい人を募るツイートをtwitterに流してみました。すると翌日…

いや、見つかるの早すぎん!?リプライ送ってきたのフォロワーでもない人だよ!?twitterの拡散力すげえわ。てことで、その方(以降Aさんとします)にチケットを譲ることに。渡すまでのやり取りは割愛しますが、とても丁寧な人だなぁという印象でした。ちなみにチケットはアプリ内での電子チケットでしたので、アプリを通して簡単に渡すことができました。時代も進歩したもんですな。

〜〜〜〜〜〜

日は飛んでライブ当日。大学の授業が終わった私は電車で会場へ移動し、入場前に母親&妹と合流。夕食を済ませて自分の座席に向かいます。座席に着くや否や、転売した相手であるAさんとエンカウント。実は私とAさんは座席が連番になっており、簡単に会うことが出来たのです。会ってみての印象を申し上げますと…あの、まさか社会人だとは思ってませんでした。しかも10歳も年上の。聞けば、その女性歌手のライブに来るのは今回が初めてとのこと。「なかなか行きたくても行けなかったけど、あまみるきーさんのおかげでやっと来れました!」と、譲ってあげて良かったと思える言葉をいただきました。ちょうど余ったんだし、受け取ってもらえて嬉しいのはこちらですよ。

さて、ライブは2時間ほどで終了し(感想?生歌はええなぁ(小並感))、Aさんからチケット代金をいただくことに。ライブ当日に受け取ると打ち合わせていたので、何の問題もなく受け取ります。ちなみに封筒が某企業のものだったんですが、もしかしたらAさんはそこにお勤めなのでしょうかね。最後に「良いライブでしたね」とお互い話して、Aさんとは別れました。

で、ここからが重要。家に帰って封筒を開けてみると、何ということでしょう、1,000円多く入っているではありませんか!!…ってまあ、予想はしてましたけどね。感謝の意だの何だので余分に入れてくれてるかもなぁって。よこしまだけども。「どうせ多く入ってるんだろ」って思って、Aさんの前では封筒を開けなかったしね。一応「1,000円多く入ってましたけど…?」とAさんに連絡すると、「手数料とかいろいろかかってると思ったので、気持ちだけですが。」という返事が。あんた、良い人すぎるぜAさん!!私の小遣いが1,000円増えたじゃねぇか!!

ーーーーーー

てことで、以上がtwitterでチケットを転売した話でした。いや、本当にこれだけしか書くことないんです。許してください何でもしますから(何でもするとは言ってない)。

なんとなくまとめ的なことも書いておきましょうか。今まで私はtwitterを呟きの場とか人間関係が広がる場としか認識してなかったんですが、こんな使い方があるんだなって気付きました。それも、ただ自分を100%投影したアカウントじゃなくて、趣味という面だけを写したアカウントによってアピールしたことが良かったんだと思います。SNSの有益な使い方を身につけたことが今回の収穫と言えるでしょう。それと、余分にもらった1,000円も。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

]]>
https://anqou.net/poc/2018/12/19/post-2429/feed/ 1
大阪府民による大阪講座 https://anqou.net/poc/2018/03/25/post-1310/ https://anqou.net/poc/2018/03/25/post-1310/#comments Sun, 25 Mar 2018 11:08:52 +0000 https://anqou.net/poc/?p=1310  久しぶりの投稿大会に興奮が隠せないあまみるきーです。

 突然ですが私、大阪府民なんですよ。大阪「府」とつけたのは大阪市内ではないということでして、すなわち私はコッテコテの大阪人というわけではありません。しかし大阪人の姿をアホみたいに見てきたことに変わりはありません。そんな私が思ってることがひとつあるんです。

 みなさん大阪人にレッテル貼りすぎじゃないですか??

ーーーーーー

 レッテルその1。″せっかちでケチくさい。″大阪人ってだいたい厚かましくてとっつきにくいと思ってません? これだけは言わせてください。大阪人の隠れた優しさに気付いていないだけなんですよ! ということでそんな話を少しばかり。

 電車を待ってるとき、みなさんは列になって並びますよね。電車が来ました。それからどうしますか? 私の想定解は「列の先頭から順序よく乗車する」なんですけれども、まあ問題ないかと。しかしここは天下の台所大阪、列の横からしれーーっっ!と割り込んでくるおっさんおばはんがいてるんですよ。ニューヨークヤンキースのキャップ被ってスポーツ紙持ってるおっさんとか! ピンク色のダウン着てデパートの紙袋ぶら下げてるおばはんとかが! もうね、何してくれてんだよ!あんた何様だよ!って気分になることありませんか! まさしくこういう場面で、大阪人ってケチくさくて厚かましい人たちなんだなぁって感じてしまうことでしょう。

 ところが、この後の行動でみなさんの程度が知れてしまうんです。すなわち、大阪で電車に乗れるかどうかがここで分かれるんです。大阪人ならこの後こんな行動をとるぞ、という模範解答を私は見つけてしまいました。「割り込んできたおっさんおばはんに向けて足をガッと出す」これではないでしょうか! あんたに先行かす筋合いはねえぞと言わんとばかりに、己れの足をガッと差し出しておっさんおばはんの行く先を遮るんですよ、大阪人なら。もしここで仕方なく先に行かせてしまったなら貴方はその程度なんです。大阪という土地で電車に乗る先々でこんな目に遭わねばならないんです。そんなの癪にさわるでしょ? ケチくさい相手にはケチくさく動かねば大阪ではやっていけません。相手は想像以上に強者なんですから。

 では、足をガッと差し出されたおっさんおばはんは、この後どんな行動をとるでしょうか。もし相手が大阪以外(たとえば関東)の人なら、もしかすると怒鳴ってくるかもしれません。「年寄り優先と違うんかぁ!!」「ふざけとんのかコラァ!!」「客はお前ら若いもんだけじゃねえぞ!!」いやいやあんたこそ何だよ、怒鳴るくらい元気あるなら別にいいだろ、とツッコミどころ満載の1人ネタを披露してくれるかもしれませんね。しかし大阪のおっさんおばはんはこの手の人たちとは違います。大阪なら、間違いなく引っ込んでくれるんです。ああ割り込んだ自分が悪かったですって顔に書いてるぞ、みたいな引っ込み方をしてくれます。これこそ、ケチくさいなりの隠れた優しさなんです! みなさん気付いてくださいましたか? これを教訓に電車に乗ってみましょうね!

ーーーーーー

 レッテルその2。″大阪人は面白い。″これに関しては、私も、勘弁してくれってくらい被害を受けております。「大阪人がみんなして面白いなんてそんなわけないでしょ!京大生はみんな勉強の話しかしてないですかいやそうじゃないでしょ!」って言ってるのに毎回期待されてしまうのがつらい、そう感じている大阪府民は多いものです。

 これは私が名古屋に出かけたときに思ったことなんですけど。ご存知の方がどれくらいいるか分からないですが、名古屋って日本三大ブスに入ってるんですね。要するに、名古屋の女性はブスだぞって言われてるようなもんですよね。たまったもんじゃないでしょうね。で、名古屋の街を歩いてこの目で見て回って、私思ったんです。あれ、美人さんけっこういるじゃんって。それから日本三大ブスのトリックに気付いたんです。みんなみんなブスなんじゃない、単にブスの割合が高いんじゃないか。こんなことを今まで彼女ナシの私が言うとブーメランになるんですが(過去記事参照)、たしかにブスの割合がほかに比べて高い気がしたんです。だから名古屋の女性はブスなんだって言われてるんだと思いました。

 これと同じ話ができませんか? 大阪人がみんなして面白いんじゃない、大阪人に面白い人が多いだけだよって伝えたいんです。思えば日本三大ブスより知名度は高いわ被害者は多いわ精神的苦痛もきついわ、こちらこそたまったもんじゃないですよ。このことを大阪以外の方々には是非気付いていただきたいと思います。被害者からの強いお願いです。

ーーーーーー

 レッテルその3。″阪神ファンしかいない。″私は広島カープのファンなんですが、それを言うたびに「へぇー大阪府民なのに阪神ファンじゃないんだね」って返されて、やはりそうなのかと溜息をもらすばかりです。なんででしょうね。正直大阪以外ならこんなこと起こらないと思うんです。東京に阪神ファンがいても別に違和感ないでしょ?まあこれは偏見だと思いますけど。

 これについてはちゃんとした弁明ができないので、代わりに私がカープファンになった理由でも話しましょうか。私は別に阪神が嫌いなわけではないんです。むしろ地元ということもあって阪神は好きですし、昔から阪神は特別な存在でした。でも、分かってくれる人がいるか不安ですが、そんな阪神を倒す強い相手に憧れを感じるんです。私は一時期、中日ドラゴンズのファンでした。少し前のドラゴンズは阪神にめっぽう強くて、「くそっまた荒木と井端に止められた!」と思わずもらしていたのを覚えています(たぶん野球好きにしか通じない…)。それからしばらく経って、ドラゴンズのポジションが今では広島カープに変わったんですね。「菊池なんであんな打球をさばけるんや!」「また松山がホームラン打ちやがったか!」2人とも私の特に好きなカープの選手です。阪神を倒しまくる広島カープというチームに、私は憎さではなく憧れを持ったんです。そういうわけで気付いたらカープファンになっていたというわけです。ファン歴はまだまだ短いんですけどね。どうでもいい話で代用しちゃいましたが、とにかく大阪人は阪神ファンだけじゃないんです。

ーーーーーー

 このように、大阪人はみなさんが思っているよりずっと深いんです。それを伝えられたなら大阪府民としては嬉しいことです。

 本当は投稿大会ということで小説でも出せたらなぁと思ってたんですが、周りの人たちがすっごい良いのを書くもんですから自信なくしちゃって。自分が書くならこんなところかなぁと。ではこのへんで。駄文を読んでいただきありがとうございました。

]]>
https://anqou.net/poc/2018/03/25/post-1310/feed/ 3
道の向こうに 0. https://anqou.net/poc/2018/02/16/post-1119/ https://anqou.net/poc/2018/02/16/post-1119/#comments Fri, 16 Feb 2018 02:40:20 +0000 https://anqou.net/poc/?p=1119 2017年11月25日、21時30分。私は東京ステーションに辿り着いた。荷物は、数日分の衣類を入れた青いバッグ、それから青いシクロ車だ。東京ステーションでY氏と合流し、神田ステーション方面へ自転車を走らせる。適当なネットカフェを見つけてチェックインし、その日は早くに寝てしまった。遂に明日から始まる戦いに、私は万全の体制で挑もうとしたのだ。

 

これは、あるにわかサイクリング部員の体験談であり、彼の限界突破の記録である。

 

全てはY氏のLINEから始まった。

「NF期間に東海道走らへん?日本橋から三条大橋まで、48時間目標で。」

見た瞬間思わず、は?という声が漏れた。たしかに、9月末の耐久ランは無事完走できた(しかも自分なりに満足のいくタイムで)し、それ以来ロングライドには興味を持っていた。しかし、今回の相手が耐久ラン以上に手強いことは感覚ですぐにわかっていた。そもそも東京・京都間は500キロ近くあり、これは耐久ランの倍以上の距離である。それに、東海道には越えねばならぬ強敵が居座っていた。箱根峠である。私は一瞬悲観的になった。海沿いの街小田原から一気に標高を800mも上げるのは間違いなく苦行だ。下手をすると東京からたった100キロでリタイアになってしまうかもしれない。

「もう少し考えさせてください。」と返信した。必ず伴うであろう苦しみゆえ、私は迷いに迷った。だが、己の好奇心を抑えられないことに気づくまで長くはかからなかった。一晩たつと、私の心の中は180°回っていた。苦しいなら苦しみを乗り越えればいいのだ。苦しみを避け続ける人間に、これ以上は無理だと決めつける人間に勝利などない。限界に挑戦してみせろ、と言い聞かす自分がいた。呼応するように、限界に挑戦してみたいと思い出した。とっさにLINEを開いた。

「東海道、行きます。」

 

11月26日、午前5時。我々2人は神田駅近くのネットカフェをあとにして、日本橋に着いた。道はここから始まる。数百年も前から変わらない事実を噛みしめるように、私は目を閉じてみた。覚悟は決めた。と同時にカッと目を見開いた。5時42分、そのひと漕ぎから、戦いは始まった。

 

続く

]]>
https://anqou.net/poc/2018/02/16/post-1119/feed/ 1
浴場 https://anqou.net/poc/2017/12/31/961/ https://anqou.net/poc/2017/12/31/961/#comments Sun, 31 Dec 2017 14:59:52 +0000 https://anqou.net/poc/?p=961 「本当に、俺なのか?」思わず出た独り言が、風呂場に響きわたる。それは直ぐにシャワーの音にかき消された。

俺は仕事で大きな失敗を犯した。新たな取引先の獲得に失敗したのだ。成功すれば過去最高の利益が見込める。そう言われていた大事な商談だった。

ーーーーーー

光栄なことに、俺は1年前そのチームに参加することになった。当時入社2年目だった俺は、俺が任されていいのかという不安より、絶対に成功してみせるという自信のほうが優っていた。チームリーダーを務めた高井戸さんの指示のもと、チーム全員が完璧に仕事をこなしていった。俺も、憧れの先輩である高井戸さんからサポートを受けながら、出来ることを丁寧にやっていった。商談はスムーズに進んでいった。そのぶん、俺はチームに貢献している、俺はチームの一員として働けているという気持ちが強くなったのは言うまでもない。

そのとき、事故は起きたーーいや、これは事件かもしれない。商談成立まであとわずかとなった合同会議に、俺は高井戸さんに同席させてもらえることになった。会議はどんどん発展していく。いつになく高井戸さんの目が鋭い。これが最後の山だ、そのときは俺はそう思っていた。江本、あれを出してくれ。高井戸さんが俺に向かって目で合図する。準備万端。俺は自分の鞄からファイルを出しーー

無い…………無いっ…!

俺の頭の中は焦りにすべて埋めつくされた。昨日徹夜までして作った大事な資料が、ここに無いのである。必死で思い出そうとした。資料を仕上げて…いつもの青いファイルにしまってから…鞄に入れた! 絶対に! あり得るとしたら…そのあと仮眠をとって…その間に誰かが…誰かが…
「おい、どうしたんだ江本!」
高井戸さんの声で我に返った。瞬く間に、俺の身体は膝から崩れ落ちた。途端に涙まで溢れ出てきた。声を押し殺すも、静寂の部屋に響くには十分だった。

それからというもの、積み上がりかけていたドミノ倒しは、1つが倒れたがために総崩れとなった。「御社との取引が本当に利益か、再度考えさせて欲しい。」これが決裂の言葉だった。若いんだからこんなミスだってあるさ、と高井戸さんは声をかけてくれるが、その目はやはり笑っていなかった。それほど規模の大きい会社ではないので、俺の周りどころか社内全体で重たい雰囲気が立ち込めていた。ひそひそと噂をする人も多くて、到底居心地のいい場所ではなくなった。俺はすぐに会社を辞めた。事件以来俺はうつ状態を抜け出せなくなり、遂には睡眠薬無しでは眠れないほど精神を蝕まれていた。

ーーーーーー

湯船に浸かると、温かさに包まれて不意に身体が軽くなった。俺はあの日のことを鮮明に思い出した。と言うか、思い出してしまった。何度も何度もあの光景と感覚が蘇っては俺を苦しめてきた。しかし、なぜだろう、今日は違う。頭の中のもやだったものが今、塊になろうとしている。

俺は、はめられたんだ。まだ未熟な2年目のはずなのにチームに参加した俺を蹴落とそうとする輩がいたということか。そして俺に失敗の責任を擦りつけた。ファイルを隠すという悪質な手段で。妬みーー俺の頭をその2文字がよぎる。嘆かわしい気持ちになった。俺に対してじゃない。犯人に対して、もっというと、こうなってしまった現実に対してだ。どうして他人を蹴落とすことしかできない?どうして自分がのし上がる努力をしない?どうして俺が悪に負かされねばならない?苛立ちしか湧いてこない。のぼせてきたのかもしれない。

身体が勝手に反応したのか、頭の先まで湯船に浸かった。自然と心が安らいできた。小さな泡がのぼっていく。肌に触れて心地よい。

ーー…2017年もあと1分になりました…ーー

つけっぱなしのテレビの音が風呂に入ってくる。もうこんな厄年とはお別れだ。2018年はきっといい年になるだろう。湯の中で目を開けてみた。光が揺れる。今この時みたいに、温かさに包まれたなら。泡の数だけ、希望に包まれたなら……さぁ、年越しのビールでも開けようか。早く風呂を出よう……っっっ!?!?

いきなり心臓に激しい痛みが突き刺さる。これはいったい何だ…もしかして…心臓麻痺!し、心臓麻痺!てことは俺死ぬのか…!?痛みに串刺しにされながら意識が薄れていく。口に湯がどんどん入ってくる。嗚呼苦しい!もがけどもがけど地獄から抜け出せない。どうしてだよ!明るくなったら負けなのかよ!俺は所詮こんな生き方しかできないまま終わるのかよ!

 

生きる希望なんて何だよ。

いっそ怨霊になってやる。

]]>
https://anqou.net/poc/2017/12/31/961/feed/ 1
遅すぎた激励 https://anqou.net/poc/2017/12/19/post-542/ https://anqou.net/poc/2017/12/19/post-542/#comments Tue, 19 Dec 2017 14:43:53 +0000 https://anqou.net/poc/?p=542 この投稿は「カオスの坩堝 Advent Calender 2017」の18日目の記事です。

 私はマゾヒストだ。ことを成すにはただでは済ましたく無い。完了したはい終わりでは気が満たされないのだ。その一端が効率主義的な性格に顕著にあらわれている。とはいえ単なる効率主義ではなかろう。なぜなら最も追求するものは時間対効果でも労働対効果でもない。求めるべきはタスク対効果だ。或るタスクをこなす中でどれだけ多くを得るか。私は斯くなる理想を極めるには労力を惜しまない。自らを追い込んででも労力をつぎ込めばよい。マゾヒストと言うよりはむしろ自分に厳しくありたいといったところか。

 タスクを多くこなし得るものは多ければ多いほど良いに決まっている。然れども人間は生物であるからそこには限界がある。中でも最も見過ごせない限界が時間である。人間は生物であるからいつか死を迎える。それまでにできるタスクには限りがある。よって人間はその一生のなかで上手くタスクをこなし多くのことを得る要領を持たねばならない。これこそが私の効率主義の真価である。

これが受験の話になると効率主義は絶大な力を発揮する。効率主義は受験のためにあると言っても過言ではないくらいに。なんてったって受験とは限られた時間で学を詰め込む競技である。効率を考えずして受験に挑むなど愚行に他ならない。

今回は大学受験を控えた皆さんのため私の効率主義的なアドバイスを授けようというわけである。言うまでもないがこの理論を裏付けるものは私の経験しか無い。受験で何より大事なのは自己分析の力だ。これを参考にするときも自分に合った勉強法に改善してほしい。

そもそもの話ではあるが得意科目というのはいくつ必要だろうか。世間一般ではひとつ得意科目があれば武器になると言われるが私はそうは思わない。苦手科目で打ち消されるからだ。本当に頭ひとつ抜きん出るためには得意科目は複数必要だ。これなら点が取れない科目が多少あってもアドバンテージは維持できる。よって今ひとつ伸びが出なくて喘いでいる受験生諸君は苦手を潰すよりは得意を増やしてほしい。その方が精神的にも楽だし確実性も高いだろう。

私の場合は英語と化学の二刀流で受験に挑んだ。すると本番で苦手だった数学でやらかしてしまい心を滅多打ちにされた。ところが翌日の英語と理科で覇気を纏った私は見事に形勢を逆転し合格を掴んだのである。このように二刀流のメリットは尋常ではないと分かっていただけただろうか。やらかしている以上あまり喜ばしくはない記憶ではあるのだが。

では私がいかに二刀流を成し遂げたのか具体的な話をしよう。逆に言うと今回は英語と理科以外はアドバイスができない。申し訳ないことだが粗悪なアドバイスを入れ知恵させられるよりはマシだと思って聞いてほしい。

英語については文法より尊いものは無い。単語より文法である。単語など最低限の知識さえあれば文脈で読み取っていける。事実私はそうしてやり繰りしてきた。もちろん単語を覚えないよりは覚えた方がいいに決まっている。しかし文法が無くては英語と日本語を行き来する間にカオスが生じるだろう。例えて言えば単語は英語島と日本語島を結ぶ船であり文法は航海図である。航海図も無しに船を出せば行き着く先は全く定まらない。文法を蔑ろにするのがどれほど危険であるか今一度気づいてほしい。

文法が大事というのは和文英訳でも英文和訳でも共通する話である。和文英訳においては筆者の論を構造的に捉える必要がありそれには文法が役立つ。英文和訳においてもまず文法で骨組みを編んでから単語の肉をつけていくのである。文法とは英語の生死を分かつ存在と言っても過言ではない。

理科について話そう。理科はとにかく演習と考える人は多いと思うがそれは安直である。案外忘れられがちなのが知識や原理である。出来ない問題に出くわしたとき解答を見て解法だけ暗記しようとする人がいる。これほど本末転倒した勉強は無い。そもそも受験という世界で同じ問題が2つとあるだろうか。それに問題はいくらでも複雑に応用できる。解法は丸暗記しときましたとぬかす付け焼刃は門前払いに違いない。応用に太刀打ちするには知識と原理を身につけねばならない。理科という科目はそれほど根が深いのだ。

具体的な勉強指針を話すとまずは暗記と簡単な演習で基礎を固め受験直前に過去問を繰り返し解いた。大事なのは徐々に難度を上げていくこと。見栄を張って難しい問題に挑んでもそのレベルに届かなければ何の成果も得られない。もしこの時期に理科で藁にもすがる思いをしている人がいるならとにかく原理を覚えよう。原理が分かれば解法も深いところまで考察できるようになる。それが応用につながり得点にもつながるはずだ。

以上が私の効率主義的な受験の理論である。何度も言うが自己分析こそ最優先の課題であり私の経験をそのまま模倣すればいいわけでは決して無い。正直なところ参考程度にとどめてほしい。余程の秀才でない限りこんな直前になって断捨離をしたところでたいして変わらないと思う。受験を間近に控えている諸君は真似をするなら覚悟して真似してほしい。少なくとも役に立てたなら嬉しいことである。

最後にひとつ。この文章は「、」を使わず書いたのだがお気付きだろうか?もちろん受験生諸君が「点をとる」ための願掛けである。

あまみるきー

この記事は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の18日目の記事でした。あまみるきー が担当しました。19日目はfeele担当の予定です。

]]>
https://anqou.net/poc/2017/12/19/post-542/feed/ 1
私に彼女ができない理由を理系っぽく考察してみた https://anqou.net/poc/2017/12/06/post-175/ https://anqou.net/poc/2017/12/06/post-175/#comments Wed, 06 Dec 2017 02:44:25 +0000 https://anqou.net/poc/?p=175  この投稿は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の5日目の記事です。

やあ。あまみるきーと申します。投稿が遅くなってしまい本当に反省しています。つれづれと文を書くのは昨年のadvent calendar以来です。よってあまりクオリティの高いものは用意できませんでした。これが理系の限界なんです。まあ、細かいところは目を瞑って、愚痴を聞くぐらいの感覚で読んでもらえれば幸いです。

いきなり下世話な質問をします。皆さんは人付き合いが得意ですか?…すみません、やはり愚問でした。私の周り、ことadvent calendar著者諸君が私の期待を裏切るはずがないですよね。ええ?そうでしょ?ねえ?

まあそれはそうとして。人付き合いをこなす上でいちばん大事なことと言えば、信頼です。相手を信頼することで、自分の人柄を知ってもらう構えができるし、相手のことをもっと知ろうとする意欲が芽生えます。信頼する相手にはどんなことだって厭わずできるようになれます。金だって貸せるでしょう。恋愛相談にだって本気で乗ってあげられるでしょう。試験の不正行為だって…いやそれはNGだわ。逆に、信頼できない相手からは距離を置こうとします。例えば山の中でクマに出会ったら間違いなく逃げたくなります(いきなり逃げるのはかえって危険らしいですが)。これは相手が獣だからというわけではなく、相手が全裸のおっさんでも同様の対応をしたくなるはずですし、相手が小動物ならそれほど怖れることもありませんよね。

ならばこの”信頼”なる概念を動かすのは何でしょう。信頼できる相手に金を貸せるのはなぜか。全裸のおっさんに声ひとつかけることさえ出来ないのはなぜか。

これは経済学と直接関わってくる議論であります。すなわち、人が以上のような行動を取る原動力になるものは結局のところ損得勘定(感情)なのです。先ほどの話を再び持ってくると、信頼を置く人に金を貸せるのは、必ずそれが返済されるだろうという前提のもと、金を貸すことで相手の自分に対する恩という利益を見積れるからです。

このケースで大事なのは、返済されるという前提ではなく、勝手に見積もった利益の方です。金の貸し借りを行う関係は銀行とでも作ることができます。このときも当然信頼が重要になりますが、だからといってそこに恩なる概念が生まれるはずもなく、せいぜい利息を余分に払えば終わりです。

じゃあ対銀行と対人との差がどこで発生するかというと、答えは簡単。”関係性の終点”の有無、これに他ならないのです。銀行から金を借りた場合、返済を終えればたちまちその銀行とは一定の関係性を失い、お互いが赤の他人として認識され始めます。これが関係性の終点です。終点を過ぎれば信頼の構造が問われなくなるということです。一方で、人と金の貸し借りを行なった場合はこの限りではありません。そもそも人間の感情というものを考えてみれば、金の貸し借りをできる相手との関係が、返済を終えた時点で一切無視されだすはずがありません。さらに長い間関係を保持したいと思う相手でないと安易に金など貸せません。多少人によりその裁量にばらつきがあるでしょうが、少なくとも私はそう考えます。

信頼をベースとしたアクションが終了しても関係性の終点に到達しない信頼、これを連続信頼(continuous trust)とします。対銀行のように、ある時にプツリと消滅する信頼を時間有界信頼(time-bounded trust)とします。この2つは相対する概念です。

さあ、ここで本題に入りましょう。配偶者はおろかその候補者さえいないというのは生物学的に敗者であり、敗者が勝つには分析がどうしても必要なんです。いくら悲しい気持ちになろうとも現実に向き合わねばなりません。はぁー。

まず、恋愛というものを私はこう定義します。恋愛とは、相手との信頼が任意の時点で連続的信頼であると証明する行為である。小難しい言い回しをしていますが、つまりは「永遠の愛を誓いますか?」ってことです。結婚式でよく聞くやつね。また、異性とか生殖とかいう単語を使っていないため「本能を無視している!」と批判する方もいるでしょうが、恋愛のかたちは多様なのです。同性だろうが子がいなかろうが構わないじゃないですか。視野と器の広い人間になりましょう。

話を戻します。私は基本的に人付き合いは好んでする方であります。私は大学で体育会の某部に所属していますが、他大学との交流にも積極的に参加してる方だと思います。日常でも、人間関係が薄くて困っているわけでもありません。

しかし、私はどうも相手に信頼を置くのを躊躇う人間なのです。相手を信頼したいと願って努力はするのですが、どうしてもそこには壁があって、本当に信頼できる人間なのか審査が始まってしまうのです。しかも大体の人にはより信頼を置くことを拒んでしまいます。一定量もない信頼に対して、それが連続的信頼かなどという判別は無駄です。連続的信頼であろうが、それは(広い範囲で考えれば)ゼロに近似されるのです。

また、一度相手に強い信頼を置けたとしても、それが本当に連続的信頼かどうかは別問題です。私の場合、「この人となら信頼を持ち合えるな」と思える人間は確かに周りにいるのですが、十分長い時間それを維持するのがきわめて困難なのです。何気ない言動の繰り返しが契機となって、一気にゼロに近づくまではいかなくても、信頼はじわじわと単調減少し、やがてゼロに近似されるまでになり得るということです。このような信頼を範囲有界信頼(extent- bounded trust)とします。気をつけねばならないのは、範囲有界信頼は連続的信頼のあくまで一部であり、時間有界信頼とは別物であるどころか逆概念だということです。

ここまでを整理すると、私はそもそも人を信頼しにくい人間であり、かつ一度信頼した人でもだんだん信頼が薄れてしまうのです。決して友人関係を否定しているのではなく、他者に頼ること、自分の(精神的、時によっては肉体的)一部を預けるのを躊躇ってしまうということです。金の貸し借りはできるけれどもそれは対銀行の事務的なアクションになり得るのです。正直、このことを明かすのも悩みましたが、自分に向き合うにはこれくらいせねばなりません。これを読んでいる私の友は、どうか私を疑わないでください。信頼そのものを揺るがす話ではありません。あくまで恋愛を考えた上での信頼の議論ですから。それに、疑われると余計な疑いを向けかねないので。

さて、最後に、問題の解決策を考えましょう。一度作り上げた信頼を崩さないためには、信頼を下げなければいいのです。すなわち、おおよそ2つの策が提案されます。

1つは、時間的有界信頼に無理やり変えてしまうこと。は?と思うでしょうが実は簡単です。私は中学生のころ好きだった人がいるのですが、その人は小学生のときの知り合いで、中学生になって以来一度も会っていないのです。小学生時代に出来上がった信頼が、卒業という”関係性の終点”を迎えたことで無理やり時間有界信頼となったと言えます。ただし、対銀行のように信頼がいきなりゼロになったわけではありません。私もその人も生きている限り、再会、すなわち関係が再び生まれる可能性があるわけです。よって、関係性の終点における高い信頼がそのまま残り続けたのです。ちなみに、今となってはさすがにその人のことはほとんど忘れてしまい、かつてその人に好意を寄せていたという事実だけが頭の片隅に残っています。

もう1つの方法は、信頼を高めるタイミングをきちんと作ることです。バレーボールはうまくパスを回していかないとボールが地面に落ちてしまいます。要はこれと同じです。放っておくと下がってしまう信頼を適宜上げればいいのです。難しいことのようですが、これは先程よりずっと簡単です。

「愛してる」

この言葉ひとつで解決する問題ではないでしょうか。私はこれ以上に信頼を再確認させてくれる言葉を知りません。私の世界もきっと、この言葉で救われることでしょう。

私の心理は、まあこういったところでしょう。しかし私は大事なことを忘れていました。

私は強い信頼を置かれるにふさわしい人間になれるのでしょうか?

 

to be continued…

 

この記事は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の5日目の記事でした。あまみるきー が担当しました。6日目はfeeleさん担当の予定です。

]]>
https://anqou.net/poc/2017/12/06/post-175/feed/ 4