Ozone | カオスの坩堝 https://anqou.net/poc Chaos is not kaos. Sun, 25 Mar 2018 15:00:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.1.1 https://anqou.net/poc/wp-content/uploads/2018/02/9dc10fe231765649c0d3216056190a75-100x100.png Ozone | カオスの坩堝 https://anqou.net/poc 32 32 The bird is flown https://anqou.net/poc/2018/03/26/the-bird-is-flown/ https://anqou.net/poc/2018/03/26/the-bird-is-flown/#comments Sun, 25 Mar 2018 15:00:20 +0000 https://anqou.net/poc/?p=1417 さて、坩堝では春の投稿大会が行われ、大きな盛り上がりを見せています。
私もこの波に乗っかるために一つ記事を書こうと思い立ったわけですが、如何せん文章力に欠ける身で、小説など執筆しようものなら中学の時にこっそり書き溜めていた痛々しいノートの再現になりかねません。
そこでひとつ、私の地元について、そしてこのお祭り騒ぎに合わせて、お祭りについての記事を書くことにします。

私が住んでいるところは、名前を出されて知っていると答えられる方は少ないかもしれません、京都という地方都市です。
この都市は、ほんの1000年ほどの間日本の都でありましたので、他の都道府県より少しばかり歴史の趣を感じる都市となっております。

そんな京都には京都三大祭というものがございまして、今回ご紹介するのはそのうちの一つ、祇園祭というお祭りです。
高々一地方のお祭りなのでご存じの方は少ないかもしれません、このお祭りは9世紀から続くちょっとばかり歴史の長いお祭りです。
7月の1日からほんの1か月ほど使って行われるこのお祭りは八坂神社という普通の神社と山鉾町が主催して行う二つの行事を総称して言います。
このうち山鉾町が主催して行う山鉾行事はどうやら国の重要無形民俗文化財に指定されているらしいです。

このお祭りの一番の見どころは何といっても数々の美術工芸品で装飾された山鉾が公道を巡る山鉾巡行で、「動く美術館」と例えられることもあるそうです。大げさな。
私のようなしがない大学生になじみが深いのは、この巡行が行われる少し前の日から、公道が歩行者天国となり数々の出店とともに山鉾が並ぶ宵山、宵々山の日です。
この日はそれはもう大勢の人々が通りを埋め尽くし、どんなしょぼい屋台でも凄まじい稼ぎを得られる日となっております。
皆さんもお友達と来たことがあるかもしれません、私はかれこれ幼いころから通い詰めております。
世間のイメージではこの日こそが祇園祭ということになることもありますが、本当の祇園祭のメインはこの後の山鉾巡行であることは、知っておいていただきたいものです。

 

 

さて、ここまで長々と祇園祭についてお話してきましたが、私は別に祇園祭の自慢、ましてや京都の自慢をしたいわけではありません。
このお祭りを由来にもつといわれるある言葉をご紹介したいのです。
祇園祭で最も華やかなのは多くの山鉾が公道を巡る山鉾巡行だと前に述べました。
では、その後、山鉾はどうなるのでしょうか?
実は、巡行を終えた山鉾をそれぞれ元の場所へ帰すためのお祭りがありました。
それは前の祭りに比べれば小規模で、華やかさに欠けるもので、転じて時機を逃して用を成さないことを指す言葉となったと言います。

 

そう、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとのまつり
後祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カオスの坩堝2018年春季投稿大会、非常に楽しませていただきました。
「文才もネタも無いならそもそも遅れたことをネタにすればいい」という動機のもと、敢えて投稿大会の日程を外すという宮本武蔵ばりの盤外戦術に打って出ました。
英語に詳しい方はタイトルを見て気づいたかもしれません。
後の祭りはそのままの英訳である「A day after the fair」だけでなく英語圏での似たような慣用句「The bird is flown」を英訳として用いられることがあります。「鳥は飛んで行った」つまり「手遅れ」を意味するわけですね。

しかし、坩堝の投稿大会はまだまだ終わりません。そもそも坩堝の著者の多くは大学生で、大学生が時間を守るわけがありません。これからも遅刻した著者たちの秀逸な記事が次々投稿されるでしょう。
祇園祭の後祭も、2014年に復活し、その小規模ながら落ち着いた雰囲気が好評を博しています。
そう、まだまだ「祭り」は終わらないのです。

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原点にして、原典 https://anqou.net/poc/2017/12/31/post-928/ https://anqou.net/poc/2017/12/31/post-928/#comments Sat, 30 Dec 2017 15:48:14 +0000 https://anqou.net/poc/?p=928 初投稿なのでこれを読んでいる方々の多くとは初めましてだと思います、Ozoneと申します。主食は惰眠で油を売ることを生業としています。以後、お見知りおきを。

さて、時間を取られ過ぎて年が明ける冗長に自己紹介するのもよろしくないので本題に入るわけですが、皆さん「攻略本」という書籍はご存知でしょうか?

攻略本(こうりゃくぼん)は、主にコンピュータゲームの攻略法を取り扱った単行本・書籍の総称。同じような内容を扱っている雑誌類はゲーム雑誌と呼んで区別される。

Wikipedia先生にはこのように記されています。これだけでは具体性に欠けるのでもう少し詳しい説明をしましょう。攻略本とは、あるコンピュータゲーム(以下、簡略化のため「ゲーム」と呼称する)のストーリーの進め方、敵キャラクターやアイテムなどのデータを取り扱った書籍のことを言います。サイズは現在はB4が主流で、取り扱うデータの量によってページ数はバラバラで、ページ数に応じてお値段も変動します。

「こんな本わざわざ買わなくても、ネットで調べれば大体載ってるだろ!」

と思われる方々も多いと思います。実際その通りです。

公式の監修のもと作られているものが殆どなので、公式が公開したくない情報は載っていないし、攻略記事は著者の主観が入り込んでいるため、時折首をかしげたくなる記述もあります。しかしそこには、単なるデータの塊ではなく、人の手で作られた温かさがありました。

さらに、ネットが普及する以前は、攻略本はゲームをプレイする人々の貴重な情報源でした。筆者は5歳の頃に初めてゲームを購入してもらい、同時に攻略本も購入してもらいました。「ゲームは一日一時間」というお決まりのフレーズによってゲーム自体をプレイする時間が制限されていた当時の筆者は、暇な時間があれば攻略本を読んでいました。

ある時はネタバレを一切気にすることなくストーリーの先を調べ、またある時は自分のキャラクターをどう育成するかを考えるためにデータを漁り、索引から必要なページを探し、コラムを読み、複数の出版社のものを読み比べ、、、まさに攻略本は僕にとっての小説入門であり、教科書入門であり、辞書入門でもあったのです。ついには自分の持ってないゲームの攻略本まで購入して愛読する始末でした。攻略本は筆者にとってまさにバイブルと言っても差し支えない存在だったのです。

筆者が初めて購入した攻略本、文字通り穴が空くまで読んだ逸品です。

さて、上でも述べたように現在、インターネットでの情報交換が容易になった結果、攻略本の需要はみるみる縮小しています。特典をつけるなどの手段でなんとか購入者を繋ぎとめていますが、かえって攻略本そのものの需要の無さを浮き彫りにしています。ブック〇フに大量に並んだ、特典だけ切り抜かれた攻略本の山はこの世知辛い現状を克明に物語っていました。

攻略本は、このまま書店からその姿を消すことになるのでしょうか?

最近は、設定資料や裏設定など「公式によるネタばらし」という側面を強調したり、業界の有名人によるコラムを挟むなど「出版社による商品としての強み」を生かすなど、攻略本はそのあり方を変えて懸命に生き残りを図っています。

そこにあるのはかつて筆者が愛した「無機質なデータ集でありながらどこか書き手の暖かみを感じられるバイブル」ではないのかもしれません。ですが、攻略本という文化が世に残り続け、幼い筆者にしたように、誰かを魅了し続けることを、願ってやみません。

君たちはいつまでも僕の原点なのです。

引っ越しの際に持ってこれた本だけなのでジャンルが偏っています。前はもっと色々持っていました。

駄長文に最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。また、お会いしましょう。

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