【ミリマスSS】雪解け


この日、もう三月なのにも関わらず東京は未曽有の大雪だった。主要な交通網は軒並みやられ、駅やロータリー、バス停は、藁にもすがる人々と行き場を失った鉄の塊で埋め尽くされていた。
そんな光景を物珍しそうに眺める一人の少女がいた。彼女の名前は箱崎星梨花。765プロダクションというアイドル事務所に所属するアイドルの卵である。彼女はそれまで大企業の社長令嬢として両親やその周囲からも大事に育てられていたが、自分の世界を広げるために十三歳という若さで親の反対を押し切り、アイドルとなった。実力も実績もない彼女は、現在絶賛レッスン漬けの日々を送っており、たまに仕事が入ったとしても先輩たちのバックダンサーなどといったものであった。
今日もレッスンを終えて帰路についている途中だった。この天気ということもあり、765プロのプロデューサーや事務員、果てには社長までもが、アイドルたちの帰宅対応に追われていた。家までの距離、道路状況などを考慮して人員が割かれ、それでも余った者達は近くの家の人や大人組にお願いして泊めてもらうということになっている。星梨花は自主帰宅ということになった。家までの距離がさほど遠くはなく、また親の送迎があるということからであった。
親に事情を話すと流石に雪のせいで事務所までは迎えに来れないということなので、最寄り駅までは星梨花一人で帰ることになった。プロデューサーは心配したが、星梨花は静止を半ば強引に振り切って帰路についた。一人で帰ることの恐怖よりも、雪の街並みを感じてみたいという欲求のほうが遥かに大きかったからである。時折、強風で傘が吹き飛ばされそうになるが、何とか耐えてはスキップで足を進めるといったことを繰り返して駅に辿り着いた。
物珍しさに目を奪われていたのも束の間で、星梨花は帰路を奪われた人々の険悪な雰囲気によって我に返った。星梨花には門限がある。辺りも暗くなっているので悠長に社会見学をしている場合ではない。星梨花は立ち往生している大人たちをひょこひょことかわしながら急いで改札まで駆け上がった。鞄から電車用のプリペイドカードを取り出し、改札をくぐろうとしたその時に、星梨花の目に衝撃の文字が映った。
「えっ……」
全線運転休止、復旧の見込みはないらしい。しばらく呆然としていたが、自分が改札の前で突っ立っていることに気づき慌てて身をかわしたが、後ろに続くものは無い。ぐるりと辺りを見回したところ、相変わらずスーツ姿の大人たちの喧噪に包まれている。中には駅員に八つ当たりをしている大人もいた。星梨花はそんな空気に耐えられずにその場を離れた。
しばらく歩いていると駅構内でも比較的静かな空間に辿り着いた。それまでに少し冷静な思考を取り戻していた星梨花はこの状況をプロデューサーに連絡することにした。一コール、二コール、と耳元で呼び出し音が響く。この瞬間、世界と切り離される瀬戸際に立っているような気がして星梨花はもどかしかった。六コール目あたりで限界に達し、星梨花は通話を切断した。次に頼れるのは両親である。しかし、事務所までは車を出せないと先程言われている。それでもダメもとで星梨花が母親に電話をかけようとした刹那、手に持っていた携帯が聴きなれた着信音と共に震えた。表示画面にはプロデューサーの名が映し出されていた。
「もしもし箱崎です……」
「あぁ、星梨花か!? さっきは出られなくてすまん。それで、家にはたどり着けたのか?」
「……プロデューサーさん!!」
星梨花はプロデューサーに事の顛末を話した。プロデューサーは自分が浅はかだったとでも言わんばかりにため息を漏らした。プロデューサーを始め、社長も事務員もすでに事務所とは離れた位置まで送迎にあたっている。今から戻ったところで小一時間はかかるであろう。それにこの天気である。いつ来るかも分からない迎えを今の星梨花が待てるわけにもなかった。
星梨花もプロデューサーもなすすべなく、いたずらに時間だけが過ぎ去っていく。まさに八方塞がり、今にも溢れだしそうな涙を何とかこらえ、星梨花は最後の望みに手を伸ばすために、プロデューサーに一旦、別れを告げた。
無料通話アプリから慣れた手つきで素早く母親の名を探す。これが外れたら言葉通り、詰みである。いつもは気軽に呼びだしてはいたものの今回ばかりは動機が抑えきれそうになかった。十秒、二十秒と心を落ち着かせるために使い、意を決して通話ボタンに手をかけたその時だった。
「箱崎さん……?」
突然、後方から名を呼ばれ、星梨花は振り向いた。そこには星梨花が良く知っている人が立っていた。彼女の名前は如月千早、765プロの星梨花の先輩にあたる人物である。先輩とはいえ、星梨花はまだ下積みの見習いアイドルである。星梨花と千早の間に接点はほぼ皆無に等しく、千早の方が星梨花のことを知っていたことも不思議なことである。そんな疑問を抱くよりも早く、見知った人に出会えたことで緊張が解けた星梨花はぐちゃぐちゃの顔で千早に飛びついた。


「……ということで箱崎さんは今私の家で寝かせていますけど」
「本当にすまん、千早。ラッキーだったよ。お前がそこを通らなければ今頃どうなっていたものか……」
「ラッキーだとかそういう話ではありません! 年頃の女の子に一人で帰らせるなんてプロデューサーも少しは危機感を持ってください!」
星梨花は千早に連れられて、一時的に千早の家に入れてもらうことになった。星梨花は千早の家につくなりまどろみに飲まれた。やっと安心できる場所に辿り着いて、一気に気が抜けたのだろう。千早は彼女を寝室に運び、布団をかけた。その後、報告ということでプロデューサーに怒りの電話をかけたのである。
「それに関しては本当に申し訳ないと思っている。ただ、やたら星梨花が一人で帰るって言い張るもんだから、あと雪で人も足りてなかったし……」
「そういう言い訳は結構です! 何か起こってからでは遅いんですよ!? 今回は運が良かったから本当に良かったですけど……、もう二度とこんなことしないでくださいね!?」
寝ている星梨花のことなどいざ知らず、千早はマイク越しに怒声を上げる。千早の言っていることはどれも正論ばかりでプロデューサーはただ謝ることしかできなかった。

千早の声により星梨花は徐々に意識を取り戻していた。いつもと違う景色に最初こそ困惑したが、微かに聞こえる透き通った美しい声は、星梨花の頭を整理させるには十分だった。一つだけあった窓の外を見ると、一面の黒の上を絶えず白点が真横に通り過ぎていた。結局両親には連絡できていない。心配させるといけない、しかしまずは世話になった千早に礼をするのが道義だろうということで星梨花は声の聞こえるリビングに足を進めた。
「この前だって……、あ、箱崎さん、おはよう。気分はいかがかしら」
千早は星梨花に気づくなり、優しく声音を変えて微笑んだ。それを察したプロデューサーは頭を抱えたようにした後、星梨花に代わってくれ、と言った。星梨花は千早から携帯を受け取ると、数時間ぶりのプロデューサーとの会話に僅かな緊張を覚えた。
「もしもし、星梨花か? よく眠ってくれていたようで何よりだ。それより、さっきは俺の配慮が甘かったせいで本当にすまんな」
「いえ、プロデューサーさんのせいじゃないです。本当にご迷惑をおかけしました」
星梨花がペコリと頭を下げる。それを横で見ていた千早は思わず笑った。
「それでなんだがな星梨花、外はさっきよりも酷い天気になっているし、さっきよりも尚更帰るのは無理だろう。だから今晩は千早の家で一泊させてもらってくれ」
プロデューサーの突然の提案に、星梨花は心底驚いた。星梨花は一瞬千早の方を向いて、すぐにプロデューサーに詰め寄った。
「そんなのできません! ただでさえ千早さんにはご迷惑をおかけしているのに、これ以上は本当に……」
「プロデューサー、聞こえますか? その件に関してなら大丈夫です。箱崎さんの面倒、私に見させてください。」
千早は星梨花の横からマイクに向かって聞こえるようにこう言った。星梨花は余計驚いて、目が点になっていた。プロデューサーはじゃあよろしくな、とだけ言って電話を切った。星梨花は一人取り残されたように感じずにはいられなかった。
「千早さん! 本当にいいんですか!? 千早さんのご都合もあるでしょうし……」
「大丈夫よ。私、明日はオフなの。それに春香なんて、私の都合とか全く関係なしに来たりするのよ? だから気にしないで」
「でも、私と千早さんは、その……、春香さんと千早さんみたいに仲良しじゃないですし、今までほとんど話したこともないですし、申し訳ないですよ……」
「あら、箱崎さんは私の家に泊まるのが嫌なの?」
千早はニヤニヤしながら意地悪な質問をする。星梨花は慌てて否定した。じゃあ決まりねと言い残し、千早は来客用の準備を始めた。星梨花は手伝おうとしたが、千早に静止されると二人掛けのソファの上にちょこんと座り、せっせと動く千早を目で追いかけ始めた。
あらかた準備を終えた千早はうんと伸びをした後、星梨花の隣に腰かけた。星梨花は緊張で体をガチガチにしていた。千早は星梨花の緊張をほぐしたいとは思ったものの、どうしたらよいか分からないでいた。暫し沈黙が続いた。この状況を打ち破ったのは星梨花だった。
「あのっ! 千早さん!」
決して狭くはない部屋に大きな声が響き渡る。千早は内心驚いたが、さも何ともない風に装う。星梨花がそれに気づいた様子はない。その大きな瞳はじっと千早に向けられたままである。
「さっきは言いそびれちゃったんですけど、今日は本当にありがとうございました。私、千早さんがもしあそこを通らなかったら、ずっとあのままだったかもしれませんでした」
星梨花の生真面目さに千早はふと笑みをこぼした。この一言のおかげで千早も多少余裕が持てたようだ。
「……さて、晩御飯にしましょうか。この天気じゃ買い出しに行くのは無理だろうし、余っているものでも構わないかしら?」
「いえ、お構いなく! ご馳走になるだけでも厚かましいのに、そんなご注文までできないです」
「そう? 箱崎さんがそう言うならこっちで勝手に作っておくわね。実は私、料理を始めたのは比較的最近だからあまり自身がないの」
千早は自嘲気味に言ってみせたが、すぐに後悔した。これでは星梨花に気を遣わせてしまうだけである。
「いえ! 私、千早さんのお料理すっごく楽しみにしています! ママ以外の人に料理してもらうのって何だかとても新鮮です♪」
すかさずフォローを入れるあたり、星梨花の育ちの良さが垣間見える。普段に過ごしている者達とは違った反応で、千早は新鮮に感じた。
「ありがとうね、箱崎さん」
「あの……」
星梨花が何か言いたげにしている。千早はどうしたの、と星梨花に尋ねる。
「箱崎さん、じゃなくて星梨花でいいです。千早さんは先輩ですし気を遣ってもらうのは何だか申し訳ないです」
千早は一瞬戸惑ったが、すぐに要求を呑むことにした。見た目とは裏腹に積極的にガツガツくる星梨花に千早は感心すらした。
「じゃあ星梨花、ご飯ができるまで待っててね。ちょっと時間がかかるかもしれないけど大丈夫?」
「はい! ところで、一体何を作ってくださるんですか?」
「そうね……、肉じゃがを作ってみようと思うの。星梨花は肉じゃが、食べたことあるかしら?」
星梨花はひとしきり考えた後、分からないです、と答えた。
「じゃあ決まりね。肉じゃがはこの前春香に教えてもらったばかりなの。優しい味で、絶対に好きになるわ」
そう言って千早は少しだけ真剣な目になって作業に入った。星梨花は時折聞こえる包丁の軽快なリズムに乗ったりしながら、まだ見ぬ肉じゃがに思いを馳せていた。

「これが肉じゃがですか? 何だかカレーみたいですね!」
「星梨花、それ、カレーなの……」
うなだれる千早。張り切って肉じゃがを作ったものの、肉じゃが特有の甘さが引き出せずにパニックになった。慌てて春香にメールすると、カレーに転用できるということであり、幸いカレールーは自宅にあったため、やむを得ずカレーにした。後輩の前でいいところをみせるどころか醜態をさらしてしまい、千早は顔から火が出そうな気分だった。
それでも星梨花は嬉しそうにしている。プレートいっぱいのカレーを目の前にもう待ちきれない様子だ。今日だけはこの好意を素直に受け取ろう、そう決めて千早は食事の挨拶を粛々と行った。
食後、満足そうな星梨花の顔を見て千早は安心した。やはりカレーは万国共通、最も外れを引きにくい料理の一つであろう。千早が片付けをしようと腰を上げると、すかさず星梨花は手伝いを申し出た。千早は一緒に皿洗いを手伝ってもらおうと思ったが、星梨花の背ではシンクを使うのも困難であろう。千早は一通り逡巡した後、お風呂を沸かしてもらうことにした。はい!、と元気な声で返事をして風呂場に走っていく姿を見て、千早は可愛い妹ができたみたいで微笑ましい気持ちになった。
千早が皿洗いを終えたのとほぼ同刻に、星梨花も風呂の準備を終わらせて戻ってきた。千早は星梨花に先に風呂に入るよう指示した。ここで多少の譲り合いが発生したものの、最終的には星梨花が折れて風呂場に向かった。幸いスリーサイズはほとんど変わらないこともあり、星梨花の着替えは全て千早のものを借りることで解決した。風呂に向かう星梨花の去り際に千早がくっ、と漏らしたが、その声は誰にも拾われることはなく虚空に消えていった。

一人部屋に残された千早は、ソファに身を投げボーっと天井を眺めた。突然の来訪だったが面倒などといった感情は全く起きず、むしろ楽しかったと思っている自分自身に千早は驚いていた。かつては孤高の歌姫とも言われるほどだったが、今ではしっかり者のみんなの頼れる先輩である。本当に変わったな、と千早は思った。昔の千早は何でも一人で高みに目指そうとしていた。しかしそんな独りよがりな考えがどこまでも通用するわけはない。それを千早に理解させたのが765プロである。仲間と過ごし、切磋琢磨し合い、沢山の後輩もできた。あの時もし765プロに入っていなければどうなっていただろうか。そんなもしもを考えても無駄だなと思って千早は目を閉じて今の幸せを噛みしめた。
(今度、もっと多くのみんなをうちに招待しよう。春香や美希、真に律子、水瀬さんに高槻さん、あずささんに萩原さん、亜美真美に我那覇さんと四条さんもね。料理ももっと練習してみんなで美味しく食べて、これまでのこと、これからのこと、夜が明けるくらい語り合おう。それで……)

うっかり睡魔に飲まれた千早が目を覚ました頃には、星梨花は既に風呂から上がっていた。千早の体には毛布がかけられている。千早は星梨花にありがとうとお礼を言った後、机に置かれた時計に目を遣った。思ったよりも寝てしまっていたことに後悔した千早は急いで風呂に入る準備を始めた。
「ちょっとのつもりだったんだけど随分眠ってたみたいね。ごめんね星梨花、もう寝ててもいいからね」
「はい……、ふわぁ」
星梨花は眠気に耐えきれずに欠伸を漏らしてしまう。千早は星梨花を寝室に移動するよう勧めた。星梨花ははい、と頷いた。この調子であれば上がったころには夢の中だろうと軽んじて、千早も風呂に入った。
予想と反して、千早が上がった時も星梨花は半目でありながらも意識を維持していた。その健気な姿を見ながら、千早は星梨花が本当の妹だったらなと非現実なことを考えていた。起きているだけで辛そうなので、千早は星梨花を寝かしつけることにした。
寝室には予め敷いておいた布団が二つ並べてある。千早は普段からこの部屋で睡眠をとっているが、来客の際には布団をもう一組収納から取り出している。
「じゃあ星梨花は奥の布団で寝てね。明日は何か予定があるの?」
「いえ、私もオフなので特に何もないです」
「そう、じゃあ好きなだけ眠ってもらってかまわないわ。自分の家のように思ってもいいわよ」
千早の言葉に星梨花は思わず笑って、ありがとうございます、と返した。それきり会話は途絶える。しかし先程のようなぎこちない沈黙ではない。二人の間には心の脈が波打っている。
「あの、千早さん」
星梨花が千早に話しかける。千早はそれに応じた。
「私、千早さんがどうしてアイドルになったのか、一人前のアイドルには何が必要で、千早さんが何を大切にしてるのか……、私、千早さんの事もっと知りたいです」
千早はこの手の質問が苦手だ。しかし、拙い言葉ながらも一語一語大切に紡いで星梨花に伝えた。まるで子供に語りかけるように、優しい言葉で千早は語る。話しているうちに千早の耳にすぅすぅと寝息が聞こえた。星梨花は幸せそうに眠っている。天使のような寝顔を見ているうちに、千早も眠気に誘われてまどろみに落ちた。


翌朝、先に目覚めた千早は二人分の朝食を作っていた。リビングには心地の良い日差しが差し込む。昨日の雪は見る影無く、春の色が街を包んでいる。今日は散歩にでもでかけようか、と千早が考えていると星梨花が目を覚ましてリビングにやってきた。
「おはようございます……」
「おはよう星梨花。もうすぐで朝ごはんできるからそこで座って待っててね」
星梨花が寝ぼけ目で腰かける。それから数十秒後に食事がキッチンから運ばれてきた。二人は向かい合っていただきます、と手を合わせた。
「千早さん、本当に色々ありがとうございます。朝ごはんまでいただいちゃって……、準備ができ次第、お暇しますので」
「ふふっ、そんなに急がなくてもいいわよ。ゆっくりしていって頂戴」
それから他愛のない会話を続けていると、突然星梨花の携帯が鳴り響いた。星梨花はそれを手に取り名前を見る。発信元はプロデューサーだ。星梨花がチラと千早の方を見たが、構わないとのことだった。星梨花は通話ボタンに手をかける。
「おはよう星梨花。昨晩はよく眠れたか?」
「はい! 千早さんにも良くしてもらって本当に楽しかったです!」
「そうか、それは良かったな! ところで星梨花伝えておかなければならないことがあるんだが……」
プロデューサーはもったいぶった言い方で続ける。
「次の公演、星梨花にセンターをやってもらいたいと思っている。どうだ? いけそうか?」
星梨花は突然の知らせに開いた口が塞がらなかった。しばらくして落ち着いた星梨花は千早の方に視線を移す。そこにはセンター大抜擢を心から祝福する千早の姿があった。
「そんで、センターやれそうか?」
プロデューサーが再度問いかける。星梨花の答えはもう決まっていた。
「はい! 私、センターやります!」

後日、如月家に大量のお礼品が届いたのはまた別の話。

コメント

  1. nininga より:

    アイマス関連は明るくないですが
    千早が可愛かったし可愛い