ツイキャスなる個々人がライブ配信を行えるサービスがある. ここ1週間ほどであろうか、筆者の周辺にて流行りとなっているようである.
しかしながら、筆者はこの傾向に対し、いくらかの懸念を抱いている. その中で、今回は個人情報の保護の観点から少し注意を促したい.
確かに、インターネットやSNS の普及などにより、個人情報の保護に関して、自らの情報を「どこまでを」明らかにすべきか、という問はもはや無意味ではないか、という主張も説得力をもっている.
しかしながら、個々人の選択の自由だとしても、他者に迷惑が生ずるのは問題ではないだろうか. そして、このサービスは、安易に他者に迷惑を生じさせねない構造を抱いているのでなかろうか.
まず、インターネットに投稿すると、不特定多数が閲覧できることを意識すべきでないだろうか. 従って、それぞれの配信にコメントしているのは知人であったとしても、実際に閲覧しているのは見ずしらずの者かもしれない. 更には一週間の間配信された内容は保存され、第三者が閲覧できる点にも留意が必要であろう.
次に、配信という形態そのものの問題として、更に事前の確認がしづらい、という点がある. 動画投稿サービスやマイクロブログサービスなどであれば、投稿前に一旦見返して、問題がある部分を削るなどできるであろうが、瞬時性の強い配信では、そのような行いはできない.
更に、ツイキャスの宿命として、日常に近い形態にて配信が行われやすいという点がある. 日常の会話の際、どこまでが他人の責任で、どこまでが自分の責任か、さほど意識していない人々も多いのではないだろうか. それは会話ではさほど問題にならないとしても、不特定多数の前ではなすべきでない.
さて、いかなる解決策や留意点があるのであろうか.
抜本的な解決策としては、グループキャス機能を用い、いわゆる「内輪」のみで閉じた配信を行なう、というものがあろう.
しかしながら、このような行為がしずらいのであれば、また、自他共に個人情報を流すかどうか、注意して見守るしかないのではないか.
「他人のあだ名、本名」など、会話の最中、不特定多数の閲覧があり得る環境のもとにあって、普段の調子で流さないように気をつけざるをえないではないだろうか. たとえ、気をつけるというのが実行しずらいものであろうとも.
確かにこのようなサービスは楽しいのかもしれない. しかしながら、その前に立ち止まって、自らの振舞いを振りかえることが必要ではないのだろうか. 以上、取り急ぎ失礼.
コメント
オープンな環境が増えたことによって
個人が将来的に無くなっていくのが人間の進化の過程なのかもと思ったり思わなかったり
個人の概念の消失、その先にあるものが何なのでしょうか. 筆者にとっては、とても明るい未来がある、とは信じられずじまいです
エヴァでいう人類補完計画みたいなものが人間の次の可能性と思っています
返信遅れてごめんなさい
人類補完計画という発想はなかった. 斬新