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私は、しがない研究者だ。ただ何となく少年時代、学生時代を過ごし、流されるようにして研究者の道を歩み始めた。何て無為な人生なんだと思うかもしれないが、そこは訂正させてほしい。学生時代には気の合う女性と巡り合い、それから五年の交際を経て結ばれた。子宝にも恵まれ、今は高校生の息子と愛しの妻との三人暮らしをしている。仕事の方も軌道に乗り始め、最近では大きな学会に呼ばれたり、重要なポストを任されることも増えてきた。有望な後輩たちからも慕われ、充実感を感じている。私は幸せなのだ。
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最近、夫の様子がおかしい。研究者としての下積み時代を終え、憧れの地位を掴みかけているというのにも関わらず、彼の表情は一切晴れることなく、むしろ以前より暗くなっているようにも思える。
夫と結婚するきっかけになったのは成人式の日だった。それまで私はいわゆる学問の世界とは無縁の人間だった。学生時代は勉強なんてしたことがないし、ティーン向け雑誌の読モをしていたこともあり、将来はてっきりそっちの道に進むものだと思っていた。しかし、年齢を重ねるとともに優秀な若手の台頭や自らの限界を無視できなくなり、その道は断念した。それから親のコネで会社勤めを始め、まずまず充実した生活して一年の月日が経った頃、私にとっては運命の出会いが訪れた。小学校の同窓会で今の夫とは再会した。同級生の中には、面影が残っている者も全く風貌が変わっている者もいたが、彼に関しては全くの前者だった。チャラチャラした輩に絡まれるのにも嫌気が差していたところ、真面目で、しかし物憂げそうな顔をしている彼のことが気になって、私から声をかけた。彼は私の知らないものをたくさん持っていた。彼の言葉の一つ一つが新鮮で、私はすぐに彼の世界の虜になった。好きになるのに時間はかからなかった。積極的なアプローチの結果、五年の交際を経てゴールインした。一人の息子にも恵まれ、結婚生活二十年目に差し掛かるが、私は依然、彼のことが大好きである。
そんな彼が今まで見たことのないような顔をしている。普段から陰のある表情を浮かべることはあれど、何というか、諦観しきったような、そんな雰囲気を醸している。私は本能的にこのままでは不味いと感じ取った。だからといって何かができるわけではなかった。大切な人が苦しんでいるのに、無力な自分が酷く惨めだった。
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高校生活が楽しくない。努力に努力を重ねて地域で最も優秀な学校に進学したものの、そこからが地獄だった。毎週のように課されるテスト、自分よりも圧倒的に優秀な同級生たち。この時点で、実力不相応の場所に来てしまったと感じていた。やめるという選択肢も何度も頭をよぎったが、こんなところで劣等生のレッテルを貼られたくはない、特に両親には。
うちは家族仲がいい家庭だと思う。友人の家庭事情などを聞くと、金銭的にも精神的にも恵まれていると感じることが多い。その上、何かを強要されたことなんて一度だってない。いつだって僕の意見を尊重してくれる。それは幸せなことで、ある意味では残酷なことであった。自分が選んだ道の責任というものは、全て自分に降りかかる。今がまさにそうであろう。僕は自らこの高校を志願し、死に物狂いで合格枠を勝ち取った。全て気流に乗ったと思った。しかし、僕を待ち受けていたのは順調なキャリアなどではなく、優秀な人物を選別する淘汰の無間地獄であった。選んだ道に否定される、それは16歳の自分にはあまりにも苛烈に心の中のあらゆるものを刈り取っていた。
中学生の頃に戻りたい。自信に満ち、未来に希望を抱いていたあの頃に。今の僕にはどこにも居場所がない。
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自分の存在意義とは何だろうか。中年のおっさんがなにを馬鹿なことをと思うだろうが、実際私はこのことについて真剣に悩んでいる。これまでは、家族に豊かな生活を享受することが第一だと思っていた。特に興味のないことでも、朝から晩まで一日中ラボで資料と睨めっこできた。それが身近な者たちのためになったからだ。しかし最近、成果が上がるにつれ私の名前だけが巨大化し、私自身は取り残されているように感じた。周囲からは労いの言葉や期待の声が上がる。私はそれに対して常に違和感を持っていた。別に大層なことを成し遂げたいわけじゃない。ただ人並みの生活が得られれば、それで幸せなのだ。周りの者達の声はやがて刃物に変わり、私の弱い心を容赦なく傷つけていった。
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ダメだ。日に日に彼の顔色は悪くなっている。睡眠誘致のための枕を購入したり、野菜中心の食事で心身ともに回復してもらおうと努めたが全く効果は得られない。しかも懸念材料はそれだけではない。
息子も口には出さないが、苦しそうな表情を浮かべることが多くなった。息子は生粋のお父さんっ子で、小さい頃から仲睦まじく育ってきたが、最近は会話を一切交わさなくなった。それとなく理由を問い詰めてみてもはぐらかされるだけ。夫もよく分からないとのこと。何で? どうして? あの頃の私たちの絆はどこへいったの? これから待つ未来に不安を隠しきれない。分からないということがこんなにも怖いものであるだなんて知らなかった。ただ一つ、確信できるものがあるとすれば、それは私の手にはどうすることもできないことであるということだった。
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この世に絶望した。今、僕に降りかかっていることというのは現状、僕の手に負えないものばかりであろう。今から60年超、両親がこれまで過ごした1.5倍もの時を過ごすことに正直うんざりしている。夢も希望もありゃしない。仮にできたとしても、非常にも他の人間が掻っ攫っていく。一生負け組で過ごすくらいなら、ここで早々にリタイアするのが最善であろう。せめて最後くらい楽しく生きよう。両親を安心させてこの世を去ろう。これが、制を受けるべきでなかった愚かな息子の最後の親孝行である。
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こんなにも辛気臭い人間がいる家庭というものはどういうものなのだろう。息子の立場に立って考えてみれば、嫌に決まっている。ならば、直そうと努力するかといっても、そういうわけではない。私は理屈で行動できるほど素直な人間ではない。
こんな簡単なことができずに家では居場所を失ってしまった。仕事にも身が入らない。ただ適当に同僚や先輩の言葉に頷き続けるだけでも勝手に収入は入ってくる。何て無為な仕事なんだろう。公演の仕事においても何百回と同じことを言ってるだけでありがたがられる。こんなものは学部一年生がやることだ。結局、人間というものは適当に箔をつけていればゴキブリのように集まってくる。面白くない。誰も私の研究などには興味がない。あるとしたら、たまたま頂いた過去の栄光くらいであろう。本当の自分に居場所はどこにもない。ここは私が暮らすには窮屈すぎる。私のような人間はさっさと消えてしまうのがいいのだろう。私がいなければ家族ももっと過ごしやすいだろう。勝手にいなくなっても困るだろうし、口座にいくらか準備しておいて、あとは最近かまってやれなかった息子と最後の戯れをするとしよう。
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夫と息子が普段のような仲の良さを取り戻した。本当に嬉しい。朝から会話が弾んでいる。これが私の求めていた幸せの空間……、のはずだった。ようやく帰ってきた日常風景、しかしそこに私はいなかった。今回の件、私は何もすることができなかった。事態が発生し、原因も何もわからないまま、気づけば解決されていた。恐らく、夫と息子が解決に努めたのだろう。そこでどんなやりとりがあったかなど、私は知る由もない。死ぬほど臨んだ日常で、まさに今私は疎外感を感じている。結局、私なんていなかったほうが良かった人物なのだろう。今まで自信満々に母親気取りしていてごめんなさい。迷惑だったでしょう、邪魔だったでしょう。愚かな私は20年経ってやっと気づきました。束の間の幸せをありがとうございました。これからは貴方たちだけで楽しく幸せに過ごしていてください。いるべきでない私はここで消えることにします。
「「「全ては彼らのために」」」
コメント
こういうのすこだ…