恒河沙時計

昔話をしようじゃないか。

昔々、ある有名で人々を救い処刑された後も戦争の火種を残し今なお多くの人に崇拝されているペテン師が生まれ、その後地球が太陽の周りを2000と少しだけ回りました。ついこの前のことじゃないかだって?いや、実は時間なんてどうだっていいんだ。もっと言えばペテン師のことだって、地球と太陽のことだってどうでもいいさ。まあもしキミ達の中にいまだに天動説を信じているような敬虔で盲目的な愚者がいたとするなら、今のボクの発言はどうでもよくないかもしれない。でもこれから語るのは、ボクにとってはそれより重要なことなのさ。正確に言うなら、ボク達「著者」にとってはね。

昔話に戻ろうか。そんな昔のある時です、一つの坩堝が作られました。しかしこの坩堝には驚くべき特徴がありました。なんとある一人が作った母型に雑多な人たちがそれぞれ作ったものを無造作に貼り付けていき、またそれでできた坩堝に対しまた別の人が目をつけ、さらにまた別のものを張り付けたり括りつけたりしたのです。その統一感のない坩堝は、その母型を作った人の思惑通り、「カオスの坩堝」となりました。いまやその坩堝の作者は多数いて、これからますますカオスになると、製作者含め数々の人が思っているでしょう。

さて、このお話はここでいったん区切って、キミ達には一つ考えてほしいことがある。大事なことだ、よく考えてほしい。坩堝がただあるだけで面白いと感じる人は、世界中にいったいどれだけいるだろうか。なんだこんな質問か、とか、拍子抜けだ、とキミ達は思ったかもしれないね。確かに考古学者なら古い坩堝を見つけて面白いと感じるかもしれない。芸術家なら独創的な坩堝を見て面白いと感じるかもしれない。でもよく考えてごらん。それは確かに坩堝を面白いと思っていると捉えることができるかもしれないけど、それはただ坩堝があるからじゃないだろう。なにせ、今の話では坩堝に何らかの形容詞がついてるんだからね。

それじゃあこのカオスの坩堝には形容詞みたいなのがついてるんだからただあるだけで面白いと思う人がたくさんいるに違いない、そうキミ達は思うかい?ボクはそうは思わないね。それに、面白いと思った人も、やっぱりすぐに飽きちゃうんじゃないかな、ボクはそう思うんだ。実際、ボクも最初の方は面白がってなんどもこの坩堝を眺めたさ。なんども読み返した小説に、何度読んでもためになると思える話など、確かにこの坩堝にはどこか魅力的なものがある。でも、結局はただそれだけなのさ。その面白さはいつかは0へと収束してしまう。

そろそろボクが言いたいことがもうわかった人が出てくる頃じゃないかな。でもできたら最後までこの話を読んでほしい。そうじゃないとボクがほんとに伝えたいことが伝わらないかもしれないからね。

それじゃあ、この坩堝の面白さを0に収束させないためにはどうすればいいだろうか。簡単なことさ。母型を作った管理者が最初に言った通り、著者を増やして更新を頻繁にすればいいのさ。そして、彼は実際にそうなるよう試み、多数の著者を招き入れた。じゃあこの坩堝は今面白いだろうか?申し訳ないけど、ボクは以前と比べて面白さは圧倒的に消失しているように思うね。管理者じゃないボクの立場からは見えないけど、サイトのアクセス数がボクの意見がただの主観性によるものじゃないって示してくれるんじゃないかな。それぐらい簡単に予測できるほど、この坩堝は面白く無くなってしまってるんだ。

さて、ここでやっと元の話に戻ってみよう、といっても、これはもう昔話じゃない、現在の話、凍り付いた時を再び動かす話さ。元の話に戻るついでに、せっかくだからタイトルも回収してみようか。「恒河沙時計」、時計はともかく、聡明なキミたちなら恒河沙だって知ってるんじゃないかな?前提知識のある話はよくないらしいから説明すると、10の52乗ってことさ。要はとても大きい数字って解釈でも構わないし、どのみちそんなことどうだっていいんだ。ただ一つ、那由多でも無量大数でもなくなぜこの数を選んだのか、それだけは説明しておかないといけないかもしれない、それが礼儀っていうものかもしれない。といっても、特に深い意味はないんだ、すまないね。深読みしたいならいくらでもしてくれていいが、ボクがそんな大層なことを考えていなかったってことは覚えておいてくれ。

それで、なぜ恒河沙を選んだかってことなんだけど、この言葉はもともと数を表すような意味じゃなかったんだ。ガンジス川にある無数の砂、という意味だったらしい。といっても、これこそ例のペテン師が生まれるもっと前にあった言葉で、今のボク達とは何の縁もないどうでもいい言葉かもしれない。それじゃあこの恒河沙時計というのが何を表してるのかってことだけど、まあさっきの説明からも想像はつくだろうけども、無数の砂が込められた砂時計ってことさ、簡単だろ?ボクには入り組んだ言い回しなんてできっこないんだ、許してくれ。

でもこの恒河沙時計はカオスの坩堝のことじゃない。強いて言う言うならボクのカオスの坩堝の理想形のことさ。無数の砂が絶え間なく降り注ぎ時を刻んでいく、今のように凍えた時が訪れる暇もなく次から次へと砂が流れていく。そして砂が無くなりそうになる前に誰かが砂を足していく。それこそ、誰かがわざわざ何か特別なことをせずとも、砂時計をひっくり返すようなことをせずともいいぐらいにね。そうして砂は流れ続ける、時は動き続ける、カオスのエントロピーは指数関数的に増加する、ってのは流石に望みが高すぎるかな。それでもそうやってようやく坩堝の面白さは持続可能なものになる、ボクはそう思うのさ。

さて、ちょっと長話が過ぎたかな。でもこれでいいんだ、ボクの考えでは「砂」は多いほうがいいからね。どうでもいいことでも時間は流せるし、なにせこの坩堝の取柄は「カオス」であることなんだから。多少無駄で稚拙なパーツがあっても許されるだろうし、なんだって言い訳できるさ、文句があるならカオスを許可した管理者に言えってね。そんな軽い気持ちでいいんじゃないかな。無理して肩肘張ってまで作った坩堝なんてそれこそ面白くない、そうボクは思うんだ。

それじゃあ最後に一つだけ。もしキミ達がこの物語を終わらせたくないのなら、砂を滞らせたくないのなら、時を凍り付かせたくないのなら、坩堝に砂を恵んでくれやしないか?

コメント

  1. nininga より:

    同じようなこと言ってて草

    • feele より:

      正確に言うと、ボクはキミの文章を読んでこの記事の構想を思い浮かんだんだ。つまり、この記事の多くはキミの文章のどこかしらと同じことを指しているはずだ、そうでもなくちゃ、ボクはいったい何の文章を書いたのかわかったもんじゃないからね。でも、そんなことどうだっていいじゃないか。ボクは坩堝が枯れかかっている時にこの砂とあの砂は同じだからといって何もせず枯れ果てるのを黙って見ることができるような性分じゃないんだ。もし気に障ったのなら謝るよ、すまなかった。
      それでも、こんな砂でも注ぎ足した方が足跡は残しやすいだろう?

  2. nininga より:

    てっきりネタ被りしたのか申し訳ねえと思ってたわ

  3. 艮 鮟鱇 より:

    >前提知識のある話はよくない
    ちなみに、これはあくまでAdvent Calendarの制約なので、カオスの坩堝としては関係ありません。まぁ内輪ネタを避けてほしいのは事実だけど。

    • feele より:

      なるほど、どうやらボクは思い違いをしていたみたいだ。ご親切にどうもありがとう。といっても、これからもボクは前提知識ができるだけ必要じゃないものを書くだろうけどね。砂が流れて初めて時が進むんだ。だから砂を滞りなく流れるようにすることも大切なこと、そうボクは思うからね。