世界の終り

 …息ができない。…苦しい。苦しい。苦しい!

 目を覚ますと、タミキはベッドの上で横たわっていた。ベッドとはいっても、もはやその原型を留めてはいない。あちこちが焼きただれ、辛うじて人が1人横たわることのできる程度のスペースがあるのみだ。
 ふと上を見ると、そこは空だった。どんよりとした灰色の雲に覆われた、ひろいひろい空。天井がない。崩れ落ちてしまっている。周りの壁も同様に、焼け落ちているか、原形をとどめていたとしてもぼろぼろだ。触ると、さらさらと音をたてて崩れ去った。
 立ち上がろうとすると、全身に貫くような痛みが走った。まるでフルマラソンを走った次の日みたいだ。なんとか這いつくばって部屋の外に出て、朽ち果てた階段を慎重に降りる。リビングには誰もいない。ぼんやりとした頭がようやく覚めてきて、いま自分のおかれている状況が把握できるようになってきた。声を出そうとするが、うまくいかない。ただむなしく、ひゅうひゅうという風の音が聞こえるだけだった。

(目が覚めたの?)
 突然、頭の中に声が響く。その声は男のような女のような、高いような低いような、野太いような繊細なような、そんな声だった。
(ずいぶんと長い間眠っていたみたいだけど、ちゃんと歩ける?)
 その声は頭のなかでまた問いかける。タミキは両手足に精一杯の力を込めて、数分間の格闘の末なんとか立ち上がる。まだ頭がふらふらする。
 (外に出てごらん)
 玄関だったものは全て吹き飛んでしまっていた。裸足でそのまま外に出る。こんなことをするのは初めてだった。アスファルトの感触がそのまま伝わってくる。
 外の世界もタミキの家と同じで、ぐちゃぐちゃに破壊されているか、原形をとどめていたとしてもぼろぼろだった。ほかの人は誰も居ない。昔本で読んだゴースト・タウンみたいだと思った。世界の人口が爆発的に増えていた時代、居住区として様々な山や森林を切り開きそこにニュー・タウンを建設し続けていた。だが人口が減った今、そこに住むものなど誰もいなくなり、残ったのは無数のビルディングだけであった。

 目的もなくぶらぶらと歩いていたところで、タミキは目を覚ましてから何も食べていないことに気が付いた。お腹もなんだか空いている気がする。
 (おなかがすいた)
 返事がないかと期待して、心の中でそう呟いてみる。
 (そこの角を右に曲がると、コンビニエンスストアがあるよ)
 言われたとおりに曲がると、確かにコンビニエンスストアがあった。もちろんライトはついていない。ほかの建物同様に崩れ果ててはいたが、どうやら店の中の商品は無事のようだった。タミキは適当に栄養補給剤を何個か手に取り、無心で食べた。はじめての万引きのような気がするが、この状況でそんなことも言ってられないし、第一取り締まる店員さんもお巡りさんもいない。
 (お腹はふくれた?)
 (うん。ありがとう)
 だが、お腹もふくれたところで、そろそろ現実に目を向けなければならない。この世界は何なのか?タミキ以外の人間は一体どこへ行ってしまったのか?そして、頭の中に響く謎の声は何なのか?疑問が次から次へとわいてくる。
 (タミキ、あそこに見える丘まで行こう)
 何から質問すればいいのか迷っているのを察知したのか、その声は優しくタミキに話しかけた。少し歩いたところに、小高くなっている場所がある。タミキはその声に従い、ふらふらとよろけながらなんとか足を進める。

 丘についた。思い出した。ここからの景色は絶景だったんだ。町が一望出来て、天気の良い日なんて遥か遠くのスカイ・タワーや宇宙エレベータなんかも見えた。夜になると無数のライトが一面に広がって、まるで天の川の上にいるようだった。僕はこの景色が好きで、いつも家族と一緒にこの場所を訪れていたんだ。
 でも、今日見える光景は幻想的でもなんでもなかった。全ての建物は灰色の残骸と化し、空はどこまでも灰色の雲が覆う。おおよそ色という色は何もない、灰色の世界。スカイ・タワーも、宇宙エレベータも、遊覧飛行船も、何も見えない。
 (ご覧)
声が響く。(これが世界の終りだよ)
ふと、遠く遠くに、黒い影が見える。雲に紛れて、その大きな大きな「何か」は、ゆっくりと蠢いている。怪物。化け物。タミキの頭では、それが果たして何なのか到底検討がつかない。ただ、無限の恐怖が襲い掛かるだけだった。

「…ここはどこなんだ! そして君は一体誰なんだ!?」
タミキは思わずそう叫ぶ。
(…563年前、私はこの星に不時着した。燃料も切れ、食料も底をつき、死にかけていたところを、ある一人の男の人に助けられた。そして私はその恩返しとして、その人と、その子孫全員の繁栄を願ったの。そしてあなたはその末代のひとり)
 急に、タミキの体が光始める。その光はだんだんと体を抜け空へと向かい、一筋の光の線となって澱んだ空を照らした。すると、別の場所からも同じような光が見えた。さらに別の場所からも、またまた別の場所からも。何十本もの光の線は空で一つに集まり、世界を照らした。
 (世界は終っても、あなたたちは終らない。どうか、あなたの希望でありますように)
 そう声が聞こえると、その光は雲を突き抜け、はるか宇宙へと飛び立った。