30年後のTwitter

本当は「作曲のススメ」でも書きたかったのだけれど、どうやら他の人とネタが被ってしまいそうなので断念した。知りたい人は吉音の新歓にでも来てね。たぶん僕は殆ど居られないだろうけど。

僕が今日書く内容というのはとてもシンプルで、たぶん皆が思っていることだろう。我々デジタル・ネイティヴ世代が大人になったらいったいどんな世界になるのだろう。

今や若者の大多数がSNSを利用している。これが何を意味するかというと、Twitter社やFacebook社といった企業が倒産しない限り、我々はたとえ30年後でも友人たちと気軽に連絡が取りあえるということだ。

僕たちはそれまでにSNSをやめているのだろうか。就職をきっかけに? 結婚をきっかけに? どうにもそんな気がしない。それどころか、これから先もずっとやり続ける可能性だってある。朝起きたら「ぽきた」、昼休み中にソシャゲのガチャ爆死報告、帰ったらひたすら意味のないことを呟き、寝るときには「ぽやしみ」、そんな生活がずっと、これから先何十年と続くかもしれない。たとえTwitterでなくなったとしても、喋る相手が変わったとしても。

僕はこの「SNS」こそが、インターネットが人類にもたらした最大の変化であると考える。

人はコミュニティを欲するものだ。簡単に言うと、自分の居心地のいいグループに属そうとする。それこそ大学のサークルや、会社帰りの飲み会のようなものである。しかしSNSの登場により、これらコミュニティの存在価値は薄まりつつある。別に大学でサークルに入らなくたって、同じ趣味の人はインターネット上にごまんと居るわけだし、承認欲求も簡単に満たされる。わざわざ同じ会社の人といかなくても、SNSで簡単に連絡を取り合い気の合う友人たちと飲みに行けばいい。

SNSはコミュニティを作る。それも、自分の居心地の良いコミュニティを見つけるのが極めて簡単だ。僕たちはこの快適でクローズドな空間で一生を過ごすかもしれない。そしてそれは、もちろん良いこととは限らない。

最近電車内で、父親と母親がひたすら無言でスマホを触っている親子連れをよく見かける。子供はどう思っているのだろうか。SNSは快適なコミュニティを提供するけれど、それと同時に、旧来のつながり、家族、同僚、隣人といったものまで破壊する。新しい時代のあり方と言われればそれまでなのだが、僕にはそれが良いのかどうか分からない。

コメント

  1. nininga より:

    新たなウェアタブル端末の登場、ARの発展と共にSNSの形態も変わっていくんじゃないかなぁ
    SAO劇場版で描かれていた近未来のような。