先日、サークルの方で「タクシー」をお題に短篇小説を書きました。十数ページほどの短い小説ですが、その全文をここへ載せるのは読みやすさの面等から躊躇われましたので、冒頭部の一節のみを掲載させていただくこととします(坩堝掲載に際し一部推敲)。
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ターミナルを出た人影が、早足でこちらへ近付いてくる。私は窮屈な運転席に身を収めたまま、ミラー越しに様子を窺っていた。
背の低い、旅支度の女性。同伴者はおらず一人――ここではあまり見ないタイプの客だった。ファーの付いたねずみ色の防寒着に全身を包んで、両手には古びた重そうな革鞄を提げている。外で荷物を受け取ろうか迷ったが、こちらへ歩いてきているだけでまだ乗客とは限らない。バックミラーの中で揺れる鞄を、ただ見つめて待った。
後部扉の傍まで来て革鞄は動きを止めた。結露が流れて縞模様を作る窓の、ぼやけた視界の中心に彼女の顔が映る。私が操作盤へ手を伸ばし、自動扉が音を立てて開放されると、客よりも先に外気が乗り込んできて私の首筋を冷やした。
「どうも――区役所までお願いします」
「はい、区役所。裏の駐車場で降りていただく形となりますが」
「大丈夫です」
女性客の声は寒さに震え、そして若かった。ニット帽を脱ぎ、巻きつけたマフラーの下から長い髪を出したのを見て初めて、私は彼女が二十歳にも満たない少女であるのだと気付いた。
少女は鞄を空いた座席へと引っ張り上げると、膝に手を置いた姿勢でシートに深く背中を預けた。瞼も閉じていたので、私は彼女がそのまま眠ってしまう気なのだと思った。
「すみませんが」と声を掛けると、彼女はすぐに目を開いて運転席を窺った。
「シートベルトを着用願います。できれば、荷物もお手元に。重いものでしたらこちらで預かってトランクに入れておきますが」
非難するつもりはなかったが、彼女にはそう聞こえたのか急いで言う通りにすると、俯いて黙り込んでしまった。何か取り繕っておきたかったが、今しばらくはこちらから言葉を発しても萎縮させるだけのように思われて、結局私は何も言わぬままエンジンを点けた。常に大きく駆動音が響く中では、いずれにせよ小声での会話は望めない。私が操作盤の確認を終えるまでの間、少女は一言も喋らなかったと思う。
外で風が渦を巻いて、窓の結露を四方八方へと吹き散らしていく。左手がレバーを捻るごとにエンジンは回転数を速め、小刻みな振動に背の震えが増していく。後部座席では、少女が左窓から外の様子を興味深げに眺めていた。
もう良いだろうと思って、私は振り返って彼女に話しかけた。
「こいつに乗るのは初めてですか」
少女は頷いて、しかし私と顔を合わせることはせずいっそうガラスに顔を近付けた。
「ええ。修学旅行で大型のに乗ったことはあるんですけど、こういう……」
「小さいのは」
「ええ。こういった個人用の乗り物は経験がありません」
「でしたら、よくご覧になるといいでしょう。――じき無くなっていく機体です」
付け加えるように小声で呟いたから、彼女の耳には届いていないかもしれなかった。私は既に前の操作盤へ目を落としていて、少女も言葉を返してはこなかった。
「もう一度、安全をご確認ください。少し、いや、かなり揺れますので」
「大丈夫です。むしろ、ちょっと楽しみなくらい」
目を反らしたままではあるものの、少女はそう言って微かに笑顔を浮かべた。運転手として、悪い気はしなかった。
「では、離陸します」
言うと同時にレバーを手前へ引き込む。底部に嵌め込まれた二つのプロペラが跳躍するように高く唸り、次の瞬間には機体を滑走路から浮かばせていた。後部座席から感嘆のため息が上がったような気がした。
運転手一名、乗客一名を載せた小型タクシーは少しの間前方へ滑ると、高度を上げて空港上空を飛び去っていった。