あの時、僕は確かに中二病だった

この投稿は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の2日目の記事です。

皆様お久しぶりです。wottoです。僕の運営しているブログ「こんちゅう」が実質楽譜置き場となって久しいですね。

何が言いたいかというと、こうしてまとまった文章を書くのが大変久しぶりということで、なかなか筆が進まないのです。高2から高3にかけて私は結構な量の(勿論、自分の今までの基準と比べての話であって、他人と比較している訳ではない)文章を書いていて、さぁこれは大学に入ったら今より暇な時間ができるに違いないからたくさん文章を作るぞと意気込んでいた訳ですが、結果は皆さまご存知の通り、ひどく多忙な生活を送っていてなかなかそういう執筆に時間を割くのが厳しい状況となっております。

多忙という言い方には語弊があるかもしれません——直帰サークルに入っていて、自宅勢なので家事に時間を取られることもなく、課題が特別に多いわけでもないのに、何を忙しい忙しいと言っておるんだと突っ込みが入るでしょう。確かにその通りです。実際私は一日のかなりの時間を「アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ」に費やしている訳でして、その時間を執筆やら創作活動に使えばいいのです。

しかし私は元来ぐうたらな人間であります。レポートの締め切りがあればその当日の夜3時から取り掛かるような者なので、例えば一定の時間を与えられて「さあ何か創作活動をしてみたまえ」と言われても無理なのです。どうせその時間はアニメをみたり、ゲームをしたり、Youtubeを見たりして無為自然に過ごすに違いありません。

では私は創作活動が嫌いなのかというと、決してそんなことはありません。クリエイティブであることはこの世で最も崇高な能力であることだと信じております。私は自分の作った作品を他の人に見てもらうことが好きだし、またほかの人が作った作品を見るのも好きです。

創作活動にはどういったメリットがあるのでしょうか。ひとつにはやはり、自分の作ったものを人に認められるというのは非常に気持ちのいいものだということが挙げられるでしょう。言いようが難しいですが、一種の「社会貢献」と言えるでしょうか。社会は本質的には相互補助によって成り立っているので、そうやってコミュニティの輪に含まれていることを実感できるというのはとても貴重な体験でもあります。

ここで私は、もう一つの創作活動のメリットについて述べようと思います。それを紹介するにあたり——「Advent Calendar」のように複数人で回すプロジェクトでは忌避すべきことかもしれませんが——私が衝撃を受けたひとつのエピソードをお話しします。

私は私立の中高一貫校出身なのですが、その独特の雰囲気もあってか、夏休みの宿題として非常にユニークな課題が出されることがしばしばありました。これから語るのは中学2年生の国語の夏休みの課題、その内容は「ショート・ストーリーを作ろう」でした(もうすこし詳細な制約条件があったかもしれませんが、忘れてしまいました)。その当時から私はぐうたらだったので、8月31日、ギリギリのギリギリになってからこの課題に取り掛かりました。

さて何を書こうかと色々想像しました。ショート・ストーリーですから起承転結が非常に大事です。嫌な奴だと思っていた奴が実はいい奴だった、なんてベタな展開ですが、これが良さそうです。想像を膨らませていくとなかなか分量が多くなりそうです。そこで私は提出用の紙の罫線と罫線の間に新たにもう一本づつ線を追加してたくさんの文字が入るようにして、そこそこの長さのショート・ストーリーを完成させました。先ほど述べた通りギリギリなので見直す時間もなく、あまり深く考えることもなくそのまま提出しました。

そうして何事もなく平穏に終わったように見えました。見えたのです。

いつだったか、その国語の先生がこう告げたのです。「みなさんのショート・ストーリーは、学年全員分まとめて一つの冊子にして、皆さんにお配りします」

その時のショックと言えば測り知れません。なんていうか、私の書いたショート・ストーリーはダメなんです。分かるでしょう?中2なんですよ。察してくださいよ。

私の書いた文章が友人に見られると思うと恥ずかしくてたまりませんでした。どうして国語の先生がそんなことをするのか、割と本気で恨んだりもしました。冊子のことを思い出すたびに「あぁ~~~嫌だ嫌だ嫌だ」となりました(ですが、他にも割と本気で嫌がっている人がいたので、たぶん私のような人は数多くいたのでしょう!)。

そうして訪れた中学卒業式、ついに全員分のショート・ストーリーをまとめた冊子が配られました。

貰ったら速攻で鞄にしまって「何もなかった」体で行こうと心に決めていた私ですが、しかしどうやら周りの様子が変です。どうしたものかと冊子の中身をちらりと見てみると、確かに全員分のショート・ストーリーが載っていました——ただし匿名で!

こうして、悪夢のようだった日々は過ぎ去り、なんとか平穏(と私のプライド)を保つことができた訳ですが、ここで一つの疑問点が出てきます。なぜ国語の先生はこんなことをしたのか?

先ほどは匿名だと書きましたが、実は文章とともに学年の出席番号も載っているので、他の人の文章を特定しようと思えばできたのですが、わざわざ他人の出席番号を調べて冊子内を探す(ここが賢いところなのですが、ショート・ストーリーは出席番号順に前から載っているのではなく、ランダムに載っていたのです!)なんて面倒くさいことをする人はあまり居ません。なので、例えば卒業文集のようなものとは性質が大きく異なります。どうしてわざわざ学年全員分のショート・ストーリーをまとめるなんてことをしたのでしょうか。

中学を卒業し、高校を経て大学に入り、少しだけ成長してようやくその目的が分かったような気がします。その冊子には僕たちの中二時代の全てが載っているのです。

記憶というものはとてもおぼろげなもので、ちょっと時間がたつとすぐに我々の都合の良いように改変されてしまったり、そもそも存在自体が消されてしまうこともあります。ですが、ショート・ストーリー集は、そんな僕の中2時代の感性を見事に切り出し、まるで写真のアルバムのようにそこに保管しているのです。僕の中2時代というものは、確かにそこに存在しているのです。

そのことに気づいてからは、なるべく自分の作った作品は他の人に見てもらうことにしました。自己満足で済ましてもいいのですが、やはり他の人に見せることでその存在をより確実なものにすることが出来るんじゃあないか、と思います。そうやってこの「カオスの坩堝」や「融合不定期」のように創作の輪がオープンに開かれる場が生まれることはとても素晴らしいことだと思います。勿論、KUには様々な創作サークルがあるので、そちらに参加することもとても良いことだと思います。

大学生というのは見かけ以上に忙しい(特に理系は!)かとは思いますが、それでも少しづつでも何かを作り続けられたらなぁと感じる今日この頃でございます。

ところで、恐らくショート・ストーリー集は私の部屋のどこかにあるはずです。捨てた覚えがないので。ですが、それを見るのに5年という歳月は、恥じらいをかき消して思い出に昇華させるには余りにも短すぎます。またいつか、もっと成長して心に余裕ができたときに見てみようかな、と思います。

この記事は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の2日目の記事でした。wottoが担当しました。3日目はSTARTさん担当の予定です。

コメント

  1. takshaka より:

    僕の書いたショートストーリーは、なんの面白みもない、見るも無残なものでした。あれを中二時代の結晶と言われると、なんとも納得がいく。面白かったです、ありがとう。

  2. nininga より:

    自分の書いた内容が不安になってきましたねえ