この投稿は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の20日目の記事です。
読まれた方もいらっしゃるとは思いますが、僕は前回の投稿で自分の百合についての思いを述べました。そこで、百合を語っておいてボーイズ・ラヴ、いわゆるBLというやつについて話さないのもどうかと思ったのでこれを書いている次第です。とは言ったものの、僕はふだんから好き好んでBL作品を読んでいるわけでもありませんから、僕の想像で書いてしまう部分もあることをご容赦ください。
僕のBL作品へのスタンスとしては、性行為の表現がなく、かつストーリーが良いものであれば読まないこともない、といった具合です。おそらく僕がちゃんと読んだことのある作品はせいぜい2,3でしょう。ただ、BL 作品とはおもしろいもので、やはり女性作家が多いからかストーリー構成が少女漫画チックなものが多いように思われます。だからこそ男性でも読みやすいものは多いと思います。ちなみに百合作品はどうかというと、こちらは男性作家も女性作家もそこそこの数がいます。男性の場合にはやはりなんとなく少年漫画チックなものが多いのですが(BL作品ほど顕著ではありませんが)、女性の場合が面白くて少女漫画とも少年漫画ともとれない第三の道をいくものが多いように思われます。百合の話をしていると際限なく語ってしまいそうなので、BLの方へと話を戻しましょう。さて、先ほどBL作品は少女漫画チックなものが多いと書きましたが、これは賛同を得られる方が多いのではないでしょうか。同性愛を扱う作品ではネコとタチ、わかりやすく言えば受けと攻めは割と重要であったりします。僕のように百合を愛する人からすれば受け攻めが入れ替わることに抵抗をもつ人は少ないと思います。しかし、BLを愛する女性たち、腐女子たちの間では日夜受け攻め論争が交わされているそうです。彼女らの中では、誰が受けで誰が攻めだということが確立されているのでしょう。そしてそれが少女漫画のような展開を生み出すファクターとなっているように思われます。
ところで、今でこそBL作品は女性がその客層のメインとなっているようですが、もともとは男性が好むものであったとどこかで見たことがあります。これはしかし考えてみれば当然のことかもしれません。男女の恋愛物語は、男女の恋愛に興味のある人たちが楽しんでいるのだから、男の同性愛を扱う作品もやはり男の同性愛に興味のある人たちが、つまりそういう男性たちが楽しんでいたとしてもそれほどおかしなことはないでしょう。なにせ戦国武将の中には男色を好む者も多数いたそうですし。そしてこれは百合についても同様でしょう。
こうして百合とBLについて話してきたわけですが、昨今同性愛を認める流れがなくはないというような世の中にはなってきたものの、やはりそれらを扱う作品を殊更に好く人というのは少し異質なだとされているようにも思われます。自分の知らない領域というのはそれだけで怖いと感じる理由になりえますから仕方のないことかもしれませんが。しかし、ネットなどを見ていると百合好きな人たちよりも腐女子の方が危険視(?)されているようです。これはどうしてでしょうか。
僕は、これは腐女子の特性にあるのではないかと考えています。彼女らの想像力はすさまじいものです。これは比較的有名な話ですが、たとえば、あなたは床と天井を見て何を感じ取るでしょうか。多くの人は、感じ取るものなどないしただそこに床と天井があるだけだ、と思うでしょう。僕もそうです。しかし彼女らは、24時間見つめあう関係でありながら決して近づくことのできない床と天井にあはれを感じるのだそうです。もちろん全員が全員そのような人たちではないでしょうが、ついてしまったイメージというのはなかなか払拭されるものではないでしょう。これを織姫と彦星の話だと思えばロマンチックにもなるのでしょうが、この腐女子の脅威の想像力、妄想力が他者から敬遠される理由なのかもしれません。ただ、僕はそういう妄想は面白いと思うので腐女子の友だちがほしいと考えているのですが、身近で腐女子と会えることもないので難しいですね。
さて、取り留めのない話になってしまってオチも思いつかないのですが、今回は前のようにオススメのBL作品などもないので作品紹介をしてうやむやにすることもできません。しかしまあ、僕の文章を読んで百合やBLへの抵抗が弱くなって手を出してみようと思う人がいるならば喜ばしいことですね。ジャンルで好き嫌いを分けていては本当に素晴らしい作品との出会いをなくしてしまうことになるでしょうから。
この記事は「カオスの坩堝 Advent Calendar 2017」の20日目の記事でした。ばーたーが担当しました。21日目はイオ担当の予定です。
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