名前のある猫の話

「吾輩は猫である。名前はまだない。

この書き出しから始まる本が大昔に発行されたらしい。なんでもニンゲンである某とかいう輩が猫の振りをして本を書いたらしい。これは我々猫に対する冒涜であり直ちにやめさせなければならない!」

広場の真ん中でトラ柄が声高に叫んでいる。周りからにゃー、とやる気のない合いの手が入る。トラ柄が過激な演説をするのはいつものことであるし、一ミリも本能に訴えかけない彼の言葉ではこの広場の奴らを動かすことなんてできやしない。情では動かない、それが猫という動物の性なのだ。彼らの頭を占めるのは食い物とメスと暖かい日向ぼっこスポットくらいであろう。かくいう私も彼らと大差はない。ただ食い物は同居人が用意してくれるし、発情期でもないとメスがどこにいようが気にならない。年中発情期のニンゲンとは違うのだ。

お気に入りの日向ぼっこスポットを盗られた場合はだって?それはもう戦争だ。総力戦だ。二度とそんなことが出来ないように地獄に叩き落してやる。

おっと私としたことがまるでトラ柄のようなことを言ってしまった。見なかったことにしてくれ。これでも紳士を気取っているのでな。

猫が紳士を気取るのは可笑しいと思うかい?実は案外そうでもない。よい機会だ。ここで我々、猫がいかに気品のあるかを説明しようじゃないか。まず、ニンゲンの世界ではイギリスが紳士の国とされているが、彼の国の首相官邸では私が生まれる何十年も前から、猫が公務員として働いているのだ。嘘ではない。調べてみるといい。な?本当だったろう?さらに、我々は野生を忘れ家畜に成り下がった犬共と違って今でも狩りができる。無駄に吠えて自らをアピールすることもない。吠えるのは敗者だけと相場が決まっているのだ。犬の散歩というものをたまに見かけるが、なんだあれは。散歩は首にリードを付けられニンゲンに行動を制限されている。そして家に帰れば雨風をかろうじてしのげる程度の粗末な犬小屋に繋がれるだけで自由がない。食い物は冷めた残飯でろくに世話もしてもらえない。あろうことか、その囚人のような環境を甘んじて受け入れるばかりか、喜びさえしている。かねてから体ばかり成長して頭が伴っていないと思っていたが、奴らの頭蓋骨の中には何が詰まっているのか解剖して調べたいとさえ思ってしまうくらいだ。

それに比べて我々猫はどうだろう。散歩と称して無理に連れ出されこともなければ、リードなんてもってのほかだ。食い物も味は今一つなものの栄養バランスの整ったキャットフードであるし寝床は暖かいニンゲンと同じ住居の中だ。そのような犬よりも圧倒的に恵まれた環境においてもニンゲンには決して従属せず対等な関係を築いている。

おっとこれでは犬の境遇について怒っているようではないか。少々熱くなってしまったな。ここいらでひと眠りするとしよう。こんな陽気な日にお昼寝しないなんてもったいないというものだ。

日が傾き始めると続々と広場から彼らは離れていく。飼い猫というものの習性だ。それに合わせて私も帰路につく。そろそろ同居人も帰ってくることだろう。私の同居人は仕事から帰ってきたときに私がいないととても心配するのであまり外でぶらぶらしてもいられない。彼女を癒すのも私の役目であり契約の一部だ。

玄関のカギ穴にカギを差し回す音が聞こえれば、それが彼女の帰宅の合図だ。しかしここで玄関に走り寄ったりはしない。それは犬の役割であり、猫である私の役割はリビングでじっとしていることだ。帰宅して彼女のほうから寄ってくるからそれに応じるように、勤労を労う様ににゃーんと一鳴きするだけでよいのだ。余計なサービスはいらない。してほしいことがあれば向こうから要請がある。私はそれに気が向いたときに応じてやればいい。同居人を癒すという契約に反しているように思うかもしれないが、程度の問題だ。過度なサービスは決してしないのが私の流儀でもある。

そう、情には流されないのだ。

コメント

  1. nininga より:

    星新一のショートショートで
    猫が世界で最も賢い生物は自分たちで
    人間は自分達の世話係、みたいな話がありましたね