「嫌なら見るな」入門

昔の話をします.といっても何年もさかのぼりません.一年前くらいの話.

今現在,私には「高校同期の友人」なるものが片手で足りるくらいしかおりません.それだけならまだ大したことないだろうと思われるかもしれませんが,「ひどく私を嫌う人」が数え切れないほどおります.仕方のないことだなぁと,今でもそう思います.

なぜか?

私がいた高校はひと学年数百人の普通の公立高校でした.卒業後の進路も,多くは都内の私立大学や地元の国公立大学に進み,半数ほどが卒業してからもう一年受験勉強をされる方々,といった具合です.そんな中で一年生の頃から京都大学へ行くんだなどと宣っていた私は当然少し変な目で見られたりもしました.あの集団の中では人一倍勉強した気がします.ほかの方々が直前までひたすら遊び呆けていたりするのを別段悪いなどとは思った事はありませんでしたが,なぜかそういった方々ほど「私は勉強が出来る」と自信を持っておられるのが不思議でたまりませんでした.如何せんその高校は周辺地域の中学では成績が良かったような方々が入ってくる高校でしたから,そういった生徒がプライドを持ってらっしゃるのはいいことだと思うのですが,努力量が不足している以上成績は芳しくなく…というケースがほとんどでした.

このあたりまで(私の書き方含め)読んでいただけたらわかると思うのでぶっちゃけますが,あそこには「プライドと努力量と実力が見合ってない」方々が多すぎたのと,まさにそういう方々に嫌われていたんだと思います.私がおせっかいなのもあって色々と発言したのですが,その真意も汲み取られなかった可能性がおおいにあります…

そういった私を嫌う方々にはひたすらインターネット上で嫌がらせを受けました.一挙手一投足をネタにされ,盗撮されてSNS上にアップロードされたりもしました.

さて本題です.

最近の,というか京大生にも,そういう傾向を持つ方々が少なくないと感じられます.

「画面の向こうにいるのも同じ人間だ」

なんて当たり前のことだと仰るでしょうが,それを本当に理解しているのでしょうか.果たして,あなたが面白半分でしていることが,言われた当人にとっては一生に残るような傷になる可能性を,考慮出来ているでしょうか.

「わたしはわたしの思うことを言ったまでだ」

と言うのも,あなた自身の哲学があることも承知してはいますが,自身の発言にどれほどの影響力があるのかを考えたことはあるでしょうか.

「嫌なら見るな」

で済む話なのでしょうか.「見ない」という選択肢を取るだけで,被害はゼロになるのでしょうか.

幸い,大学に入ってから当事者に回ることはゼロに近いのですが(これも私が思っているだけかもしれない),偶にはこんなことも考えてもいいのではないかと,そう思う次第です.

コメント

  1. nininga より:

    勿論俺らは抵抗するで?拳で
    というネタが流行りましたよね

    私はネタ自体は嫌いじゃないですが
    ああやって笑い者にしながら動画に撮ってそれをtwitterにあげる
    彼らが嫌いでした

    • すぺくた より:

      ネタ自体は正直面白かったですがアレも線引きが難しい問題ですよね…