noblesse oblige

才あるものの義務 くらいの感覚で私は捉えているこの言葉、最近はよく思い起こされます。

たとえば私の知人たちはよく、種々の学問の種々の分野に対して「何もわからない」といいます。これほどまでに発言者の主観に満ち、他を圧迫するような言葉はないと、そう思うわけです。

明らかに自分より深い理解をしている人間が「”何も”わからない」などと言っているのを見ればたちまち「私はわかるわからないの土俵にすら立てていないのではないか」等の負の感情を抱くことでしょう。当然発言者当人の主観において「何もわかっていない」のであるわけですが、ひとたび誤解が生じればその勘違いは指数関数的に爆発し、果てには身動きの取れなくなる人も居るのではないでしょうか(というのも、筆者の知人にそういう経験のある人が一定数いること、及び筆者自身もそうなることが最近幾度かあったことを踏まえてです)。

自分自身の絶対的(客観的)立ち位置を考えることは非常に重要でありましょう。最低でも自分の属する共同体において自分がどのあたりにいるかは可能な限りわかっておく必要があると、そう感じます。

安易に吐いた言葉が全く意識していなかった人を傷つけてしまうことはままあることですし仕方ないこととは思いますが、筆者周辺であまりにこういった自体が起こりすぎていると感ぜられたためこんなことを書いてみました。

実力に比して自信がなさすぎる人は自信過剰な人よりも厄介で人に迷惑をかけることがあります。これは私見ですが、「私はめちゃくちゃ実力がある」くらいのことを言っておいて、しかし精進は忘れない。くらいの姿勢を取るのが一番平和でいいのではなかろうかと思います。

あまりまとまったことが書けませんでしたが、テスト勉強の休憩がてら書いたものなのでお目汚しをお許しください。またお会いしましょう。

コメント

  1. nininga より:

    むちむちの話をしてるんかな