伝説

その馬は、確かに飛んでいた。

2002年3月25日、ノーザンファームで1頭の馬が生まれた。父は現代日本競馬における大種牡馬サンデーサイレンス、母はイギリスのG1馬ウインドインハーヘア。その年のサンデーサイレンス産駒としては低価格であった7000万円で落札され、「ディープインパクト 」と名付けられた。

ディープは初めから期待されていたわけではなかった。牝馬と勘違いするほど小柄で可愛らしく、それなりに走ってくれればいいか、といった馬であった。

しかし、2歳の秋にその速さが現れる。調教で予定よりはるかに速いペースで走り、しかも汗すらかいていなかったのだ。この辺りから最強馬ディープの片鱗が見え始める。

12月、武豊を鞍上にデビューする。デビュー戦は当たり前のように圧勝する。しかも最後の直線のタイムは大人の馬と比べても速すぎるほどであった。ちなみにこのときの2着はその後G1で2着に入るなど十分すごい成績を残した馬である。

デビュー戦だけ強い馬は沢山いる。しかし、ディープの2戦目である1月の若駒ステークス、このレースではさらに衝撃を残した。なんと直線最後方からムチを入れず圧勝したのだ。このレースでディープの名は一気に有名になる。

競馬のレースには階級がある。下から新馬戦、未勝利戦、条件戦、オープン戦、G3、G2。そして1番上の階級は、年間24レース行われるG1レースである。その中でも、「3歳馬しか出られないレース」が4つ存在し、そのうちの3つ、4月の「皐月賞」5月の「東京優駿(日本ダービー)」10月の「菊花賞」はまとめて「クラシック3冠」と呼ばれ、どれか一つでも勝てば強い馬とされる。そして、3つとも勝った馬は「3冠馬」と呼ばれる。3冠馬はディープインパクト の世代までに「セントライト」「シンザン」「ミスターシービー」「シンボリルドルフ」「ナリタブライアン」の5頭おり、例外なく強い馬である。

前述した2戦の圧勝劇より、ディープインパクト は早くも3冠馬の呼び声が上がっていた。続く3戦目の皐月賞前哨戦G2弥生賞でも、辛勝ではあったがムチを入れないままであり、不安要素にはならなかった。

本番皐月賞では、単勝支持率63%と日本競馬史上2番目に高い支持率を受け、スタート出遅れも全く気にせず2馬身半差の圧勝。さらに日本ダービーでは、史上最高の73%を記録。レースでも5馬身差、レコードタイの速さで駆け抜けた。このレースによりディープインパクトは無敗でクラシック2冠を達成。これは13年ぶりの記録であった。

秋初戦のG2神戸新聞杯をレースレコードで圧勝したディープは、そのまま3冠目の菊花賞へ駒を進める。このときの支持率は79%を記録、単勝元返し(100円買ったら100円返ってくる)となった。レースでもいつも通り最後の直線で逃げる馬を一気に差し、11年ぶり史上6頭目の3冠馬、21年ぶり史上2頭目の無敗3冠馬となった。ゴール時、アナウンサーは「世界のホースマンよ見てくれ!これが、日本近代競馬の結晶だ!」と叫んだ。

そして年末、1年を締めくくるG1有馬記念。しかしここで事件が起きる。直線に入って、いつもの伸びがない。最後の600メートルは全馬中最速だったものの、前を捉えきれない。結局、4番人気だった1歳年上のハーツクライに破れてしまう。ディープの不敗神話が崩れた瞬間だった。

春。初めての敗北を味わったディープは、何事もなかったかのようにG2阪神大賞典を完勝する。そしてG1天皇賞・春。このレースで、ディープはなんとスタート大出遅れ、さらに直線より2つ前のコーナーで早くも先頭に立つと、そのまま2つのコーナーと直線で後続馬を突き放す圧倒的な強さを見せた。レコードを1秒更新し、その存在を再び世界に知らしめた。

6月の宝塚記念でも全く問題なく他馬を突き放し、満を持して凱旋門賞に挑む。

凱旋門賞とは、フランスのロンシャン競馬場で行われる世界最高峰のレースの1つと言われるレースである。そしてこのレースでは、日本馬は未だ勝ったことがない。そのため、今回のディープインパクトには大きな期待がかかっていた。

現地でもディープの評価は高く、日本馬初の凱旋門賞に向けて流れは良かった。しかし、レースでは直線で伸びず、3着に終わってしまう。しかもその後、レース前に疾患を治療するために与えられた薬が現地では禁止薬物となっていたことが発覚し、凱旋門賞失格となってしまう。禁止薬物による失格は、凱旋門賞では初めての出来事であった。

疾患により調子が悪かったとはいえ、ディープですら凱旋門賞には届かなかった。その事実により日本競馬は少し暗い雰囲気になっていた。そのせいか、帰国後初レースとなる、海外の強豪も多数参加するG1ジャパンカップでも、ディープの支持率も61%にとどまった(普通こんなに高くないので別にとどまってはいない)。さらにレースもディープに向かない展開となった。しかし、そんなことは全く気にせずディープインパクトは優勝。そして引退レースとなる2回目のG1有馬記念。アナウンサーは、「間違いなく飛んだ」と2度叫んだ。ここで引退するのが惜しいほどの圧勝で、ディープインパクトは有終の美を飾った。

生涯成績は14戦12勝2着1回。日本でディープを負かしたのはハーツクライただ1頭だけというものすごい成績を残して引退した。G1レース7勝は歴代トップタイ(この時点で3頭目、現在6頭)。こうしてディープインパクトは伝説となり現役生活を終え種牡馬入りした。

そして、第2の伝説が始まる。

なんと初年度の子供たちが2つもG1を勝利したのだ。種牡馬は1年で何百頭と増えるため、G1を2勝するだけでもすごい。ところが、これ以降ディープの子供たちが日本競馬を蹂躙する。2年目産駒(子供のこと)のジェンティルドンナは牝馬の3冠(もちろん全てG1)を達成、そのまま父も勝ったジャパンカップで史上初の連覇を達成する。その他の産駒も非常に強く、6年目には産駒でのクラシック3冠レースを全て制覇。わずか8年間で海外や障害レース含めG1を57勝と、大種牡馬である父の12年78勝に届きそうな勢いである。その他にも初年度産駒勝利数や初年度産駒獲得賞金、史上初の2戦目でG1制覇、最速年間100勝、最速1000勝、最速1500勝、産駒2歳勝利数、年間G1勝利数など多数の記録を塗り替え、父サンデーサイレンスをも超える大種牡馬となっている。2017年には孫の代の馬も菊花賞に勝利している。このように、現在の日本競馬ではディープインパクトの子供たちが暴れまわっているのだ。

まだディープインパクトは元気に過ごしている。彼の夢に終わりはない。伝説の馬ディープインパクト、その衝撃はこの先も引き継がれていく。そして、次の世代へ──

コメント

  1. nininga より:

    ウマ娘程度の知識しかない